2009/03/31

一週間

弟くんに会わないで、一週間が経ちました。
あたし、やれば出来るじゃーんっ!!!


去年まではHogarに毎日いたし、
週末に2日間くらい離れるのも心配だったし、
Hogarを出てからなんて、本当に本当に心配で
色んなこと心配しすぎて大変だったりもした。

でも、かまい過ぎたせいなのか、 たまーに
ものすごい反抗されたり、ちょっと思い通りにいかないことは
なにかとあたしの責任だったり…。ま、その辺は
誰かのせいにしたい気持ちも解るし、仕方ないけどサ。


そんなこんなで、かなり疲れちゃったわけ。
なので先週からちょっと放置してました。

電話がかかってきても、 わざと心配かけたいに
違いないと解っているから適当にあしらったし、
今日もお買い物に出かける時に 遠くに見えたけれど
あえて気づかないフリ。 心は鬼ですよ。

あたしはあたしで、別に自分じゃなくても
頼れる相手は他にも居るってことを解らなきゃいけない。
彼は彼で、他の人じゃなくて「あたし」だったから
話せた事や頼めた事がいっぱいあったって事に
きっと気付いてくれるでしょう。


はぁー。
ついに、明日からお仕事始めるらしい。
やっと落ち着ける~。

頑張れよ、弟。

2009/03/30

Punto Azul

もう残りは一年未満となってしまったので、
美味しいレストランやカフェ情報も出来るだけ残していきます。
まずは、ここ!


Punto Azul(プント アスル)

どれを食べても美味しい上に、量は多いし、
お値段は控え目だし、文句なしのセビッチェリア。
だいたい混んでいるけれど、座席数が多いので
回転は意外と早いので心配なし。
お店の雰囲気も、明るくてとっても良いです。

あ…唯一残念なのは、デザートは美味しいのに
コーヒーが充実してないことくらいかな。

以下、定番メニューのお写真です。
(食べかけのお写真もありますが・・・ご容赦ください。)


Ceviche mixto
言わずと知れたセビッチェ。単品セビッチェよりも、ミックスが好き。

Tiradito
白身魚のソースがけ。セビッチェの玉ねぎはいらない~という人にお勧め。

Rocoto relleno
イメージはピーマンの肉詰め。でも、唐辛子のお魚詰め。かなり美味しい!

Tacu tacu
ペルー風炊き込み混ぜご飯の海鮮版。お腹いっぱいなのに食べれる。

Cupe de camarones
アレキパ名物、川エビのスープ。生きてて良かったと思える美味しさ。

Torta de lucma
南米のフルーツ「ルクマ」のアイスケーキ。あれ、ケーキアイス?


思い出すだけで行きたくなっちゃうお店。
新隊員を誘って行って来ようかな♪

ちなみに、夜は営業していません。
営業時間は、基本的に12~16時と思うべし!
ちょっと早目のランチがお勧めです。

それからAv. Javier Pradoにもありますが
お店の雰囲気はMirafloresがお気に入りです。
Av.BenavidesにあるスーパーVivandaから徒歩3分程度。


"Punto Azul"
Calle San Martin 595, Miraflores

★★★★★

絶句

今朝、Hogarにとんでもない来客がありました。

「この子を引き取ってもらえませんでしょうか…」
という、悲しいことにすごくよくある相談なんだけれど、
マードレの体調が悪いので、今日は代わりに対応。
いつも「ほんっとに無責任だなぁ」と思うけれど、
でも今回は特に、お話を聞いて顎が外れそうでした。


4歳のこどもを連れて来たのは、お父さんとお母さん。
普通に仲良しそうで、お母さんは第2子を妊娠中。
彼らのご家庭にどんな問題があるのかと思いきや、
「2人目がもうすぐ生まれるから、この子を育ててください」と。

おいっ!ちょっと待ていっ!!!
両親が一緒に暮らしてるくせに、2人目の
こどものために長女を引き取れって何だ!!!


あまりにもびっくり&動揺したので、ちょっと落ち着いてみる。
そして、どうかあたしの聞き間違えでありますようにと思って
もう少し話してみると、やっぱりとんでもなかった。
別にものすごい経済的に苦しいとかそういう訳でもなく、
「この子にアルファベットとか教えて欲しい」と。

はい…?!
自分達のこども、何だと思ってんの?!
まるで、子犬か子猫が生まれるから
可愛がってくれる人募集中~♪みたいな勢い。


…あたし、絶句でした。

とりあえず、そういうご家庭のお子さんは引き取りません。
これ以上こどもが生まれて困るならばきちんと避妊をするか、
もう妊娠しないように 手術をしてください、と。

驚くべきことに、夫50歳、妻28歳の夫婦。
お話してて、怒りを通り越して情けなかった。
こんな、当たり前すぎる事を一生懸命に説明している自分が。
例えば16~17歳の若すぎる夫婦が「こどもが出来ちゃって~」と
泣きついて来てお説教するなら100歩譲って良しとするけど、
今回の相手は50歳ですよ。頼むよ、本当に。
28歳のあたしに、そんなこと言われてんなよっ!!!



全てのこども達が笑顔でいられる環境っていうのが
何よりも平和で豊かな環境なんだよね。

悲しいことに、世界中どこ探したって、
そういう国は見つからないけれどさ。

でも、自分達のこどもの笑顔くらい、自分達で守ろうよ。
全てはそこから始まるんだと、あたしは心底思うわけです。

2009/03/27

白い本

一昨年の冬、親友がプレゼントしてくれた白い本

だいぶ前にこれから使うって書いたけれど、
気づいたらこんなに厚ぼったくなりました(笑)


いつから書こうかなと思っていたけれど、
駒ヶ根の訓練が始まった時から書き始めて、
ちょうど半分くらいまで来たのかな。

日記やら大切な人たちからもらったお手紙やら
こども達がプレゼントしてくれたものやら
とにかく色んなものがつまった一冊です。
カバーがあったけど、納まらないから捨ててしまいました(笑)


あと一年で、どれだけ膨らむでしょーか。
今から楽しみです。

ありがとう、のんちゃん。

2009/03/26

3.26

今日は3月26日。
日本を発って、一年が経ちました。


一緒にKTCで過ごした協力隊仲間のみんな、
3月末に結婚式をあげた親友、
最後の最後に踊ってくれた友人、
温かく送り出してくれた職場のみんな、
いっぱい応援してくれた協力会社のみなさん、
愛するTHK03入社の同期のみんな、
同じく愛するWABISABIのみんな、
愛する地元茅ヶ崎の友人たち、
2ランクアップしろと言ってくれたおにーさま、
しっかりねと激励してくれたオーマ、
辛くなったらいつでも帰ってきてと言ってくれたママ、
単身赴任先からお電話をくれたパパ、
成田で号泣してくれた亜衣ちゃん。

みんな、みんな、元気にしてますか。



悲しかったり悔しかったり情けなかったり、
泣いたり怒鳴ったりもするけれど、あたしは元気です。

ペルーでも、良いお友達に恵まれました。
こども達にも、愛されています。
負けないくらい、愛しくてたまりません。


日本が恋しいのは間違いないけれど、
まだまだまだまだ、頑張ります。

残された時間はあと一年。
あっという間に過ぎていくんだろうから
こども達に、生活を通して教えられる事は
なんとか全て出し切りたい。


元気な笑顔で日本に帰れるように
今日から一年、大切に過ごします。

2009/03/25

仏の顔も…

いい加減にしろよJulio!
…って、勢いでキレてしまった。
最近のあたし、カルシウムが不足してるんでしょーか。


「仏の顔も三度まで」ってよく言ったもんだよね。
例えば「仏の顔も十八度まで」とかだったら
間違いなく相手はそれに甘んじてしまうんだよ。
あたしは、あの子に対してかなり甘すぎたんだと思う。
もう25回くらいは仏の顔を見せてきちゃったよ。
ま、ペルーに来てから色んな人たちから
「菩薩顔」って言われるくらいだから仕方ないか…。

今の今までそれを解ってなかったあたしってなんだろう。
Hogarにはもう居られなくて、両親に見放されて、叔母さんのお家も
居心地悪くてっていう状況の子を放置するなんて出来なかった。
だから、他に居ないって思い込んで面倒見てきたけど。


でも、別にあたし一人が頑張って面倒見なくたって、例えばあたしが
居なくなったって、周りに居る誰かが支えてくれるんだよね。
ここはペルーなんだから、なんとかなるに決まってる。
いい加減な人が多いけれど、お仕事見つけるのも大変だけど、
食べ物と面倒見の良さに関して言えば、けっこう豊かな国なんだから。

なんで反抗してくるのか解らなくって、言いたいことを100%
スペイン語で説明するのも難しくて悔しくなって、
頑張ってみても結局よく解らないで悲しいまま終わる。
そんな大変な思いしなくっても別にいっかと、今、思う。
しばらくは、他の人に任せてみよう。 本当に子離れしよう。
反抗期の娘・息子を持つお母様方は、こんな大変な思いを
されたのでしょうかね…。(ママ&パパ、ごめんなさい。)


数日前、大好きな友人と喋ってて、悩みすぎのあたしに対して
「お前の代わりなんていくらでもいるんだぞ」って言ってくれたのは
今日のための言葉だったのかも知れない。
兄さん、ありがとう。大事なこと気づかせてくれて。

あぁ、マジで疲れたわ。
正直言って、彼の事は「活動外」なんだから、しばし忘れよう。
あたしはここHogarに残された可愛らしいこども達との生活に専念しよう。
julioはいつか、きっと10年後でも良いから、解ってくれる日がくると信じて。
きっとこうやって、可愛い子には旅をさせるのさ。


どうか、道を踏み外しませんように。
この唯一の願いが、届きますように。

2009/03/24

小さな幸せ

風邪を引いてしまって、かれこれ一週間。
明日こそ治る、治る、きっと治る…と思いつつも、
未だにひどい声のまんまで生活してます。
きっと、明日こそは…(笑)


こども達に風邪をうつしたくないなと思いつつ
ちょっと引きこもり気味の毎日を過ごしていたけれど
さすがに自分の満足度的に一週間以上も
そんなワケにはいかないわけで、
今日から出来るだけこども達と過ごすことに。

特に午後は小学生のこども達の算数の宿題に密着。
少ないヒントでどれだけ出来るようになってくれるかナ…と
願いながら横で見ていたけれど、10歳のMarcelo、
今日は本当に良く頑張りました!

「1時間で終わらせよう!」とヤル気を出させるために開始。
まぁ2時間くらいはかかるだろうなと思っていたのに、
本当に1時間ちょっとで終わっちゃいました。


一問出来る度に、二人でにんまり。
全部終わって、またまた二人でにんまり。
何てことない普通の一日だったけれど、幸せでした。

あと、日本に帰るまでちょうど一年。
大きな変革をして日本に帰りたいというのが本音ではあるけれど、
こんな小さな幸せの積み重ねだけでも充分かなぁとも思う。
そのくらい、平穏で幸せな日でした♪

2009/03/19

ペルー国歌

日本では想像できないくらい、色んな場面で国歌斉唱の機会があります。学校のイベントでは必ず。エンマヌエル協会の役員交代式の時も、Hogar Emmanuelの25周年記念式典の時も。日系人協会が絡む時には日本の国歌まで歌うんだ。

日本で「国歌」「君が代」と言うとまた難しい議論になるからそのへんに触れるつもりは無いけれど、こっちでは本当に誇りを持っている人が多いのです。自分が生れ育った国なんだから、まぁ当たり前だよね。

ドイツ人ボランティアのミカエラは、こども達に「ドイツの国歌ってどんなの?歌って!」と言われて、ちゃんと歌えなくてすごい恥ずかしかったという事件がありました。でも、実を言うとあたしだって今まで生きてきて国歌を歌った回数なんて両手で数える程度だったりして、協力隊の派遣前訓練とかなかったら歌詞も覚えてなかった気がする。

Hogarの少年が「ペルーの国家は世界で一番かっこいいんだよ」と言ってきた。だいたい何でも本気にしちゃうあたしは、どっかの機関がそういう番付をしたのかと一瞬思ったんだけどそうではなくて、個人的に大好きだから「世界で一番!」と言っているんだって。素敵だよね。


もうペルーに一年近くも居るのに、ちゃんと歌詞を覚えようと思ったことがなかったあたし。さすがにかっこ悪いから、そろそろ覚えようと思っています。でもね…ペルーの国歌、すごく長いの。あ、終わるかな、と思うと、また盛り上がっちゃうの。

一言で表現するならば「300年に渡る植民地時代を経てようやく自由を手に入れた喜びの歌」と言って良いでしょう。「Libre(自由)」という言葉がこれだけ出てくるのにも、7番まであるっていう長さにも驚くけれど、ペルーに住んでみるとこの二つとも、なんだか普通に理解できるような気がします(笑)。ま、聴いてみてください。

Himno Nacional del Perú



Somos libres, seámoslo siempre
y antes niegue sus luces el sol,
que faltemos al voto solemne
que la patria al Eterno elevó.

Largo tiempo el peruano oprimido
la ominosa cadena arrastró;
condenado a una cruel servidumbre
largo tiempo en silencio gimió.
Mas apenas el grito sagrado
¡Libertad! En sus costas se oyó,
la indolencia de esclavo sacude,
la humillada cerviz levantó.

Ya el estruendo de broncas cadenas
que escuchamos tres siglos de horror,
de los libres al grito sagrado
que oyó atónito el mundo, cesó.
Por doquier San Martín inflamado,
Libertad, libertad, pronunció,
y meciendo su base los Andes
lo anunciaron, también a una voz.

Con su influjo los pueblos despiertan
y cual rayo corrió la opinión;
desde el itsmo a las tierras del fuego
desde el fuego a la helada región.
Todos juran romper el enlace
que natura a ambos mundos negó,
y quebrar ese cetro que España,
reclinaba orgullosa en los dos.

Lima, cumple ese voto solemne,
y, severa, su enojo mostró,
al tirano impotente lanzando,
que intentaba alargar su opresión.
A su esfuerzo sellaron los grillos
y los surcos que en sí reparó,
le atizaron el odio y venganza
que heredara de su Inca y Señor.

Compatriotas, no más verla esclava
si humillada tres siglos gimió,
para siempre jurémosla libre
manteniendo su propio esplendor.
Nuestros brazos, hasta hoy desarmados
estén siempre cebando el cañón,
que algún día las playas de Iberia
sentirán de su estruendo el terror.

Excitemos los celos de España
Pues presiente con mengua y furor
Que en concurso de grandes naciones
Nuestra patria entrará en parangón.
En la lista que de éstas se forme
Llenaremos primero el reglón
Que el tirano ambicioso Iberino,
Que la América toda asoló.

En su cima los Andes sostengan
la bandera o pendón bicolor,
que a los siglos anuncie el esfuerzo
que ser libres, por siempre nos dio.
A su sombra vivamos tranquilos,
y al nacer por sus cumbres el sol,
renovemos el gran juramento
que rendimos al Dios de Jacob.



2009/03/18

ちょっと切ない宿題

こども達の宿題を手伝うのも、あたしの日課。
算数だったり英語だったり。
たまに、なぜか国語の宿題だったり(笑)


Hogarのこども達がみんな通っている近所の学校なんだけれど、
容赦なく「家族に質問してきて発表しあいましょう!」的な
宿題が普通に出る。最初はちょっと戸惑ったりもした。

少し前までは、こういう時にこども達が家族にみたてて質問する対象は
マードレだったり自分たちの担当のスタッフだったり。
そりゃ長年一緒に暮らしてるんだから当たり前なわけです。

でも12月から3月上旬までの夏休みが終わって新学期が始まり、
数人のこども達が「両親に質問してきましょう!」という
宿題を持って、あたしのところへやって来た。

…コレってすごく嬉しいじゃないの!!!
張り切って答えましたよ。
生まれた場所とか、両親や姉の名前とか。
卒業した大学とか趣味とかね。
一生懸命ノートに書き写す姿が本当に微笑ましい。
どんな顔して発表してくれるんでしょーね♪


でも、同時にふと思ったことが。
例えば日本で、クラスに両親がいない生徒がいたとしたら
こういう宿題ってなかなか出ないと思うんだよね。

細かいことを気にしすぎない、神経質になりすぎないっていう
そういうペルー人的な良さからきている部分も、もちろんあると思う。

でも、悲しいことに、Hogarのあるこの地区の家庭では
片親の家庭っていうのが当たり前だからなんだな。
そんな環境で、先生達も気を遣ってたら大変なのでしょう。


日本に居ると「アメリカの離婚率の高さ」ってすぐ引き合いに出されるけれど
実はこっちって、結婚しないで子を産む母親の率がものすごく高い。
つまり、結婚/離婚以前の問題なワケね。

Hogarの近くに住んでいる同年代の知り合いの女の子たち。
お母さんが殆どだけど、旦那さんの話題を聞いたことが全くなかった。
最近になって、ようやく「離婚した時に娘の苗字をさ~」っていう
話題が出て、「あぁ、やっぱりそうなのか…」と思う始末。

すごく寂しいけれど、これがココの現実です。
どうかウチのこども達が大きくなる頃には、
この状況が普通じゃなくなる日が来ることを願ってやみません。

2009/03/17

「知らない」って…。

昨日に引き続き、バスに乗る時の出来事…。

ここからAv. La MarinaとAv. Boliviaの交差点までだいたい何分くらい?
と、バスのお兄ちゃんに聞いてみた。

そしたら…「No se. (知らない)」って言われた。


さすがに驚いた…。
何で知らないの?だいたいで良いから!
と食い下がってみたけど、

「No se! ya, sube sube, rapido!!!(知らない!良いから早く乗れ!)」 だって。

時間なさそうだったから、普通に乗ったけどさ。


でも…ちょっと待て!
お兄さん、お金もらってるんだからプロでしょッ!!

この際100歩譲って嘘でも良いから
10分とか20分とか30分とか予想して言えないのかー!!!


はぁー。
でも、こんな出来事でイライラしてたら
ペルーでは生きていけないのよね~。

別にイライラはしなくなったけど、
本当に想像もしなかった返答が返ってくる。
ある意味では、本当に面白い国です。

2009/03/16

嘘つきぃ~!

Jesus Mariaからバスに乗ってMirafloresへ。

数ヶ月前にバスのルートが変わって、
あたしのホームステイ先Dianaママ邸のある
Av. Jose Pardoを通らなくなった代わりに
一本離れたAv. 2 de Mayoを通るようになったバスが殆ど。

そんな中、今日目の前に止まったバスに「Pardo通る?」と聞いたら、
もちろん通るよと二つ返事。へぇ~そんなバス残ってたのね、ラッキーと
思って乗ってみたら、やっぱり通らなかった。

嘘つきぃ~!!!!!!!


ま、こんな嘘、可愛いもんか…。
もう慣れたけど、日本だったらありえないよね。
なぜこんな嘘をつくのか…やっぱり理解できません。

2009/03/15

平成21年度春募集

もうこんな時期ですね。
気がつけば、平成21年度春募集が始まっています。

あたしが応募したのは2007年の春募集。
健康診断をパスするために年明けからタバコを止めたり、
株主総会前に必死の思いで応募用紙書いたっけ(笑)


ペルーもまだまだ少ないながら、
ソフトボールと、栄養士と…そして少し遅れて、
「青少年活動」の要請が追加掲載される予定です。
ま、その詳細は近いうちにまた。ふふふ~♪

ちなみに…ペルーから近隣諸国へ任国外旅行に行けても、
他の国からペルーに来ることは今のところ出来ません!
かなりの人から本気で羨ましがられる夢のペルー隊員…
あなたもなってみたくないですか?なんてネ(笑)


青年海外協力隊に興味のある方はぜひ!
頑張ってくださいね~☆

2009/03/14

日本からの贈りもの♪

日本から大好きなお友達が来てくれました!

とは言っても別にあたしに会うためにペルーに来たわけではなくて、新婚&卒業旅行を兼ねて旦那さまとお友達の3人という何とも不思議な旅行で。新婚旅行なのに3人?!どんな感じなんだろう…?と思っていたけど、会ってみるとなんだか自然で、めちゃくちゃ楽しい時間を過ごさせてもらいました♪


出発前、何でも遠慮しないで頼んでねと言ってくれた友人の言葉に本気で甘え、母、会社の同僚、そして自分が欲しくてネットで注文したものまで、かなり大量に持って来てくれたのです。きっとすごく重かったと思うよ…。

実家から送ってもらったお着物グッズ、大量の「さくさくぱんだ」、おかき、お茶漬け、梅こんぶ茶、肉じゃがの素、辛子和えの素、水着。会社の同僚に頼んだ携帯灰皿と精密ドライバー。だけかと思いきや、すごく素敵な写真立てとあやとりの本、そしてノベルティのメモ帳まで。さらにお友達に免税店で買ってきてもらった香水とタバコ(6カートン!60箱よ!!!)、そしてお土産として買って来てくれた梅干しとカレーうどんとおそば。かなり感動しました。Amazonで注文した本も聖書も、なぜかEliasもお気に入りのドクターシーラボまで、本当に遠慮せずにお願いしてしまって、快く引き受けてくれた友に本当に感謝です。


到着したばかりの友人に会いにホテルに行ってみると、スーツケースの中から、母が送ってくれた段ボールがなんとそのまま出てきた。そして箱を開けてびっくり、大好きなお菓子「さくさくぱんだ」が…なんと20個も!確かにお願いしたけれど、こんなにいっぱい送ってくれるとは思いもしませんでした。「母の愛だね」と友人に言われ、確かに…と思い、ほろり。職場からのお荷物には、ホワイトデー大作戦(?)と書いてあったらしく、それにもかなり感激。

友人の旦那さまは前日からお腹を壊してしまって休養が必要だったのがすごく残念だったけれど、とりあえず女3人でお出かけ。まずは日本からのお荷物を、あたしのホームステイ先に運ぶのを手伝ってくれました。Dianaママは二人を大歓迎してくれて、日本語と英語とスペイン語が飛び交う中でみんなでコーヒーを飲んで、しばし歓談。突撃訪問のお友達を手厚くもてなしてくれるDianaママって本当に素敵だなぁと改めて思う…☆

その後、3人でバスに乗ってLARCOMARへ移動。リマ市内を走るバスは日本の整備されたバスとは全然違うから、新鮮な気分を味わってもらえたみたい。夜ごはんは、お気に入りのCAFE CAFEのテラスへ。ここは景色も綺麗だし、色んなメニューがあるうえにどれを食べても外れがないし、お値段も高くないので実は結構お気に入り。そう言えば姉がペルーに来てくれた時もここでお茶したっけ。

ホタテのパルメザンチーズ焼き、お魚のスープ、タイ風サラダ、カナッペ風のおつまみ、そしてビールとピスコサワー!懐かしの友に会えた喜びでかなりの興奮状態のあたしは、ひたすら喋りまくりました…(笑)。さらに、日本のサルサ友達の皆のこと、久し振りに聞けて本当に嬉しかったわけです。


そして旦那さまの様子を見にホテルへ戻ってみると…なんと、熱が上がってる!
それでもペルーのサルサクラブに行ってみたいという、さすがな旦那さま(それを止めないあたし達も、ある意味さすがだけど)。翌日からナスカツアーが入っているのに大丈夫かなと思いつつも、結局はあたしのお気に入りのSon de Cubaに行くことにしました。今日は生バンドもないしどうかな~なんて思いつつ行ったけど、良い曲かかってて、しかもサルサのみで(いつもはクンビア&レゲトン満載だから…)、それはそれで良かった。旦那さまに数曲踊って頂いて、あたしはかなり幸せ。そして友人と旦那さまの幸せそうなサルサも見られてもう感無量でした。本当に素敵だったよ♪

Son de Cubaを出て、片言の日本語で話しかけてくる陽気なペルー人集団とふざけ合いながらしばし歩く。サルサを踊って熱が下がってすっかり元気になった旦那さまを連れて、24時間営業のスーパーMETROにてお土産のお買いもの。これまた、気持ち良いくらい大量に買っていました。色々なお菓子やらお茶やら食料品をすごい勢いで勧めるあたしの姿は、まるでMETROの回し者のよう。だって日本人が喜びそうなものとか、日本に居るペルー人のお友達が懐かしがりそうなものとか、どーしても買って欲しかったのです。そして最初は一つだったお買物カゴが、最終的には3つに(笑)


友人がペルーに来る事を知った時はすごーーーく嬉しかったけれど、まさかココまで楽しいとは思ってもいなかった。やっぱりあたし「日本に帰りたいと思う事なんて無い」とか言いながらも、本当は結構寂しかったのかも知れないなってふと思ったり。だって、Hogarに居たら、同年代のお友達って出来ないし、信頼して何でもお話しできる人に出会うのも、この辺ではなかなか難しいから。

「色々と案内してくれてありがとう」って友人は言ってくれたけど、お礼を言いたいのは本当にあたしの方だった。日本から色んな物を持って来てくれた事は勿論だけれど、懐かしいお友達と、久し振りにホッとする時間を共有できて、あたしは本当に嬉しかったんだ。あたしが欲していた、日本の空気を届けてくれたみたいで。


姉が来てくれた時、あたしが色んな人に支えられてペルーで元気に楽しく生活していることを知って、安心して帰っていってくれた。それってやっぱり家族ならではだと思っていたけれど、今回来てくれた友人も、なんだか姉と同じように「みんなにマリコちゃん頑張ってるって伝えておくね」と言ってくれて、なんだか嬉しいようなちょっと照れくさいような気持ちで、またまた感動してしまった。

大事な新婚&卒業旅行、あたしのために時間を作ってくれて本当にありがとう。
今頃はマイアミで踊り狂っている頃でしょうか…気を付けて、楽しんでね♪

2009/03/12

3号報告書

もうすぐ3号報告書を提出しなくてはなりません。
そう、ペルーに来て12ヶ月が経つってことですね~。早いっ!

今月は何かとバタバタしそうだから早めに仕上げようと思いつつも、
まだ全く手を付けていないあたし。以前提出した2号報告書に添付した
「活動計画表」があまりにも大幅変更されていて、
それを修正するのがちょっと大変だったりして。
今回修正しても、きっとまた修正することになるんだろうと思うと…(笑)

とは言っても、色んな事件があったから、年末の計画なんて変わって当然。
今だから書けるけれど、Hogar Emmanuelの運営方針が
どうなっていくかハッキリとは解っていなかったし。

結局は、今までとなんら変わらずに運営していくという結果になったから
良かったものの…一時はどうなる事かと真剣に悩みました。
あれ、もしかして任地変更?とか、もうHogarに居られない?とか。
最終的には、残り一年の任期が終わるまで
ここに居られることが解ってホッとしています♪


さて。こども達の新学期も始まったことだし、
施設の方針もちょっと落ち着いたし、
残り一年間しかない活動期間、真面目に考えよ。

頑張って3号報告書、来週中に仕上げる!

2009/03/09

待ち人。

明日、11月までHogarにいたドイツ人のミカエラが帰ってきます。

ペルー南部のいくつかの施設でボランティアをして・・・
ついに明日からHogarに戻ってくることになりました。

明日はバスターミナルまでお迎に行ってくるよー。
話したいことがありすぎて大変だわ~♪
なんか、楽しみで眠れない気がする!ふふふ。


そして水曜日は、日本からお友達がやってくる。

「遠慮しないで」と言ってくれた友人に甘えて、
母や職場から何かと送ってもらったり、ネットで本や化粧品を
購入したり・・・きっと、かなりの量になってるに違いない(笑)

日本を発つ前には友人の結婚式でちょっと会っただけだから
ペルーで会えるなんて奇跡みたい♪
会えるのが楽しみで楽しみで、これまた待ちきれません。
どこに連れてい行こうかな。LARCOMARでご飯かな。


はぁー。
いい一週間になりそう~☆

2009/03/08

結婚式

ペルーに来て初めて、友人の結婚式に行ってきました。

以前Hogarのパン屋さんを手伝ってくれていたドイツ人のNolbertが、
ついにペルー人の女の子と結婚したのです!!!



結婚式は、彼女の自宅近くの教会で行われました。
あたしの職場であるHogar周辺では、日本人やドイツ人等の外国人はさすがにそこまで珍しくはなくなってきている。すぐ近くに同じエンマヌエル協会が経営している病院もあるしね。

でも、昨日行った教会周辺では外国人が滅多に来ない場所だったらしく、Nolbertのお友達のドイツ人やあたしが教会に足を踏み入れた瞬間、「動物園じゃないですよ~」っていうくらい、ものすごい注目を浴びてしまいました。コーラスのこども達まで、気になって気になって仕方無いという様子。式が終わった後には、サインをしてくれと4人の少女たちにせがまれてしまい・・・ 普通に名前を書いてきましたけど、きっとすぐに忘れられるんだろうな(笑)


いくらペルーでの結婚式だと言っても、ドイツ人のNolbertの結婚式なんだから時間通りに始まるだろうと思って慌てて出発。でも・・・やっぱりお相手はペルー人。一時間くらい遅刻して登場しました。ま、冷静に考えれば当然の結果ですよね。

そして式が終わると、Hogarからそう遠くない大きなレストランに移動。行ってみたら、案の定、何も用意されてない…。主役の二人が到着する10分くらい前になってようやくバンドが到着して楽器をセットしたりしてて、さすがに驚きました。

とりあえず、主役の2人が踊って、その後はそれぞれの家族と踊る。そして、まだまだ踊る。ひたすら踊る。クンビア、フォルクローレ、サルサ(もどき!)、レゲトン、ラテンロック・・・。文字通り、ひたすら踊るのです。まぁ楽しいと言えば楽しいんだけれど、上手い男性が一人も居ない場所で朝まで踊り明かさなくてはならないという悲惨な状況・・・サルセーロの皆さん、ちょっと想像してみてください(笑)


ちょっと疲れたけれど、とにかくNolbertがいい歳してめちゃくちゃ幸せそうだったから、よかった。かつては「クンビアなんで踊ってたまるか!」と言い張っていた彼ですが…下手なりに彼女のご家族たちと仲良く踊ってて、とっても微笑ましかったです。

いっぱいお写真を撮ろうと思ったのに、披露宴(?)の途中でカメラの充電が切れてしまい・・・あんまり撮れませんでした。本当に朝まで踊るパーティー。主役がいなくなっても踊るパーティー。踊れないのに踊るパーティー。なかなか新鮮な体験でした。

おめでとーNolbert!幸せになってね~♪
Herzlichen Glückwunsch zu deiner Hochzeit!

2009/03/05

あたしの宗教

今年に入ってから、宗教について考えることがすごく多くなった。

こういう環境で生活しているからでしょうか。それとも、久し振りに「塩狩峠」を読んだからでしょうか。いや、やっぱり「聖職者とは思えない言動が目立つ聖職者」を嫌って言うほど目の当たりにしているからでしょうか。


このブログを読んでくれている日本人の皆さん、宗教は何ですか?
特になし?仏教?神道?それとも儒教?キリスト教?あるいは全部それなりに信じてる派?はたまた、考えたことないって人もいるかも知れない。

あたしは…考えれば考えるほど、説明できません。育った環境がカトリックだから、ここのこども達はみんなカトリック。そういう意味では、日本人は「神様仏様」文化の中で育ったから殆どの人達が仏教か神道を信じているってことになる。これは概ね間違ってもいないよね。


で、自分は…と言うと、物心ついたらドイツに居たし、日本で通った幼稚園はカトリックだし、言われるがままに普通に神様にお祈りしてました。悪いことしてママに叱られた時、泣きながらお部屋で神様にお祈りしたこともありました。

中高は無宗教の学校だったけれど、大学でまたキリスト教復活。大学での宗教の授業、実はすごく面白かった。でも、高校生の時に祖父の法事で浄土真宗のお坊さんのお話を聞いてなぜだか知らないけど感銘して泣いたことも忘れられない。


そんなあたし、こども達に「マリの宗教は?」と訊かれると、答えに本当に詰まるのです。お祈りしてたとは言え、洗礼を受けたわけでもないし、カトリックではありません。かと言って、神様を全否定するつもりもさらさらありません。さらに、仏教も神道も、日本人である自分の生活とは切り離せないものだから、それは肯定せざるを得ない…。これをこども達に解ってもらうのは、結構大変。自分でも良く解っていないんだから、当然だよね。

で、最近は、こども達と一緒にミサに出席してみるようになった。
神父様のお話もだいぶ理解できるようになってきたし、わりと面白い。ミサに出席して良いなと思うのは、神父様とみんなが自分の大切な人たちの幸せを神様にお祈りする時。あぁ、豊かな瞬間だなぁと思う。


実は数日前、弟Julioにこんなことを言われた。
ミサの時に、僕も、Hogarのこども達も、殆どの人がマリとマリの家族のことを神様に祈ってるって知ってる?DanielもPepeもJuan Carlosも、あのマードレでさえも。だからペルーに来て大きな病気もしないし危ない目にも遭ってないんだと思うよ、と。

Julioがあたしやあたしの家族のことを祈ってくれているのは前から知っていたけれど、まさか他の人までとは思ってもいなかった。正直言って、かなり驚いたんだよね。自分の大切な人たちのことはもちろん、Hogarのこども達の未来についても毎晩と言って良いほど考える。

それって一見似ているようにも思える。想ってるんだから同じだよと言えないこともない。でも、それを頭の中で願うのと、神様に祈るのとは、だいぶ違うっていう意見もある。そういう機会、そういう場所が用意されているのは、素敵なことだなと思う。


人生を豊かにするために本当に大事だと思うのは、尊重すること。あたしにとっての「尊重」っていうのは、ただ尊いものとして大切にするのではなくて、「違いを尊重」すること。これに尽きる。

そう考えると、キリスト教と仏教と神道、あるいは神仏習合…全てを尊重するってダメなことなのでしょうか。自分の人生にたくさんの影響を与えてきたこの要素から、どれかを自分の宗教だと選ばないといけないのでしょうか。うーん。悩ましい。


まだ自分の中でなんの結論も出てないあたしの宗教観。
とりあえず最近は、そんな事を考えています。

あたしの宗教。 …つづく。

2009/03/04

ご心配なく。

「今まで生きてきた中で一番悲しい」なんて書いてしまったもんだから
色々な人から心配と質問のメールが届いてしまいました…。ごめんなさい。


別に大切な人が亡くなったわけでも、なんでもないです。
Hogarもマードレの怒鳴り声は絶えないけれど、とりあえず平穏。
あたしも健康そのものです。

ただちょっとね、喜んでもらえるかなと思ってしたことが
なぜか解らないけれどとんでもなく逆効果になってしまったみたいでね。
「悲しい」というよりは、とにかく喜ぶ顔が見たくて考えてたことなのに
ものすごく嫌がられてしまって、「虚しかった」と言うべきかな。

ワクワクしてたあたしって何だったの…って思うじゃない。
かなりショック受けるじゃない。

しかも極めつけ、Eliasの一言に衝撃を受けたし。
Ya no te quiro mucho! A la Madre si, a ti no!
(もう好きじゃない!マードレは好きだけど、マリは好きじゃない!)

冗談だと解っていても…今日のあたしにはかなり効きました…。


ま、元気出しますから大丈夫。
このくらいでへこたれるわけにはいかないのだ。

2009/03/03

またまたペルー新報に!

先日、オーパがお世話になった長谷川さんのことを書いたけれど、
知らないうちにペルー新報の記事になっていました。

今朝、パードレ加藤がわざわざ記事を切り抜いてHogarまで届けて下さいました。



1957~1958年の出来事だから、もう50年。
おそらく、色んなことを思い出して書いて下さったのでしょう。

まさかJICAボランティアに全く関連のないことで
ペルー新報に名前が載るとは思いもしませんでした(笑)

とても貴重な体験です。

2009/03/02

世界に一つだけの花 再び。

久し振りに、こども達とこの歌の練習。

エンマヌエル協会のイベントでは必ずと言って良いほど
何かしら歌う機会があるのですが、
嬉しいことにこの歌はかなり評判が良いうえに
こども達も大のお気に入りなので、出番も多いわけです。

でも、この歌はいつもDanielとJulioのギターで歌ってたから、
二人がいない今は、アカペラなわけですよ。
ギターがないという普通の寂しさに加え、
あぁ本当にいないんだなぁと思うと本気で泣きそうになる。
不意打ちで寂しさを感じると結構辛いものですね。


Julioがすぐ近くに住んでる間にコードを教えてもらって、
それをギター予備軍だったMarcoに覚えてもらおう。
今年のAniversarioでは、あたしが一緒に弾くからね!!!