2010/08/22

ラテンアメリカのこども達と。

先週の土曜日、横浜の桜木町にある
「みなとみらい21クリーンセンター」に行ってきました。
毎週土曜日に開催される「ラテンアメリカ青少年の会」に参加するためです。

母国語であるスペイン語を忘れないようにと、毎週土曜日の14時~17時、日本在住のラテンアメリカのこども達とそのお母さん、そしてボランティアの方々が集まります。

元ペルー隊員OVの方と、あたしが帰国してから通っているスペイン語学校のペルー人の先生が、偶然にもこの会の発足に関わっていて、今年でもう10年目になるとのこと。帰国してからと言うもの毎週土曜日は何かしら忙しかったけど、やっと時間が出来たので遊びに行くことにしました。


ペルー隊員OVにとんかつの美味しいランチをご馳走になってから、「みなとみらい21クリーンセンター」に到着。ラティーノと言っても日本での生活が長いんだろうから、実際のところどんな感じなのか全く想像も出来ずに、とりあえず案内されるままについて行きました。

行ってみたら、既に数人のこども達が遊んでました。
だいたい、小学校低学年から中学生まで。
これ、どこかで聞いたことある、ちょっと懐かしい年齢層。
そうです。まるで、Hogarに戻ったかのような感覚。


この日は、ボリビア、コロンビア、ペルーのこども達が10人くらい集まってました。

すぐには懐いてくれないのかなと思いきや、意外にもすぐに馴染みました。
こども達とすぐに仲良くなれる。これは自分の数少ない才能と言わせてもらっても良いかも知れません(笑)


基本的には「母語教室」として運営されているらしいんだけれど、
今回は夏休みも終わりに近づいていることもあり、夏休みの宿題を手伝います。

あさがおの観察日記、絵日記、お手伝いカレンダー、読書感想文の主旨が解らないというペルー人のお母さん(猛烈に美人だった!)と小学校1年生の女の子。3人で、頑張って内容を考えました。一生懸命ひらがなを書く彼女は、とっても可愛らしかったです。


夏休みの宿題は全部終わったというボリビア人の小学校5年生の彼女と、算数のドリルをやりました。

3桁の掛け算なんだけど、ちょっとミスが多い。そして、集中力がない(笑)
でも、Hogarのこども達に比べるとやっぱり飲み込みは早いし理解度も高いので、正直言ってぜんっぜん、楽でした。


ペルーに居た頃はほぼ毎日、お昼ごはんを食べた後はみんなで宿題タイム。
幼稚園から小6のこども達の宿題を、至る所で勃発する喧嘩やふざけ合いを制しながら毎日見てました。夜は夜で、教えてもすぐに忘れちゃう中学生達に数学と英語を教えてました。

もちろん集中力や理解力が足りないのは別に彼らの責任だけではないんだけれど、打っても響きにくいという状況で何かを教えるというのは、どれだけ気力があっても足りないくらいに空しく、想像を絶する忍耐力が必要なことなのです・・・。

なんて事を書き出すと脱線しそうだけれど、まぁそんな悔しさを経験した後ということもあって、ヤル気があるかどうかは別として、飲み込みの早いこども達にこうやって教えるというのは、ちょっと新鮮でもありました。この日、会の主催者でもあるスペイン語の先生には「疲れたでしょう?大丈夫?」と何度も何度も聞かれたけれど、あたしは疲れるどころか、もの凄く嬉しかった。あと3人くらいいけますよ!ってな勢いで(笑)

そして何より、こども達と触れ合えたことが幸せでしょうがなかった。
日本に帰ってきた隊員達は、たぶん、自分が派遣されていた国の言語を使う機会が欲しいんだと思う。もちろん、それは、あたしも同じ。でも、こども達とこうやって触れ合って、わいわいがやがや冗談を言い合いながらお勉強をする。こういう時間が、ずっと恋しかったんだなって実感しました。場所もこども達も全然違うけど、ペルーのHogarで毎日感じていた、なんでもない幸せな感覚が蘇りました。


この会は17時までなんだけれど、終わりに近づいた頃、コロンビアの中学生の女の子が泣き出してしまいました。ペルー人の先生が、スペイン語のお勉強をしなさいと、文法のプリントを取り出した途端の出来事でした。

14歳で、日本語ペラペラ。スペイン語も聞いたらだいたい解るけど、例えば1月~12月という単語をスペイン語で言えなかったり、読み書きが殆ど出来ないという状態。お母さんがスペイン語で話すと、日本語で応える。家庭でも、ずっとそうやって会話してきたのでしょう。日本語や英語のお勉強は大好きなのに、苦手なスペイン語をお勉強しなさいと言われると、拒否反応が出てしまうのでしょうか。

あたしも小学校3年生まで西ドイツに住んでました。日本とドイツを行ったり来たりだったので、ドイツ語も適当、日本語も適当。あたしの言語能力は酷いものでした。今だって、そのコンプレックスは心の奥底に燻っています(その頃のせいにするわけじゃないけれど。笑)。

だからこそ、14歳の彼女が、今のうちにスペイン語をきっちりお勉強しておかないと後になって困るっていうのが、痛いほど解ってしまう。彼女にそういう話をしたら、やっとちょっとだけ納得してくれたみたいで、これからは日本人のあたしと一緒にスペイン語のお勉強を進めていくという、なんとも不思議な話になりました♪


日本語がまだまだ苦手な子には日本語で。
スペイン語が話せない子にはスペイン語で。
そして、お父さんお母さんにはなるべく日本語で。
それなりに両方操れる子にはごちゃ混ぜで(笑)

切り替えながら、時にごちゃ混ぜになりながら、みんなで色んなお喋りをする。
毎週は行けないけれど、時間を作ってなるべくこういう時間をみんなと共有したいと思ってます。


小学生、中学生の彼らにとっては、自分の頭の中が日本語になったりスペイン語になったりして、不安定になってしまうのかも知れない。大人になる前に、これだけ習慣も文化も宗教も違う環境で、支えてくれる人たちがこれだけ居る環境で生活できる時間というのが、いかに貴重かと言うことに気づいている子は一人もいないと思う。もちろん、あたしも小さい頃は全然解ってなかった。親は大変だったと思うし。でも、後から気づく時が、必ず来るんだよね。

2つの世界に片足ずつ突っ込んでるようで不安定だという感覚もあるかも知れない。でも、こういう環境が後々、人生の選択肢を増やしてくれるんだとあたしは思う。選択肢を増やせるチャンスが目の前にあるんだから、今、出来ることをやっておいて欲しい。それに貪欲になってもらいたい。後から後悔しないために。(あたしは、帰国してからドイツ語をすっかり忘れて、何よりもそれを後悔しています・・・。)

今までの自分の経験を、彼らに少しでも伝えてあげたいなと思った土曜日でした。

この会では、スペイン語が喋れなくても、興味がある方は大歓迎!
いつでもご連絡ください。一緒に、こども達に会いに行きましょう♪

2010/08/04

パードレ加藤に会いました


気がつけば、随分長いこと、ブログの更新をしてなかった・・・。
これから離れるということは、ペルーのみんなを思う時間も減ってしまうということ。
もちろん、みんなのことを想わない日なんて一日もないんだけどね。

帰国前、このブログどーするの?完結するの?と
色んな人から聞かれたんだけれど、ずっと繋がっていたいから
これからもこども達とコンタクトを取り続けて、書き続けようって決めたのにね。
最後に書いたの、7月中旬。あと少しで一ヶ月・・・?!
ま、だからこそ日本に馴染んできたんだと前向きに考えよう♪



一週間くらい前、あたしの第2の家となった
Hogar Emmanuelの創設者、パードレ加藤(神父さま)に会いました!


日系人で始めての神父さま。
84歳。

彼のことは、何度かこのブログでも触れてきたけれど
本当に偉大で、ペルーの日系人社会の中では「宝物」のような存在です。


去年、病気が悪化して本当にヒヤヒヤしたけれど
数回の手術を繰り返して、だいぶ元気になられました。
それでもなんとなく覇気がなさそうに感じられたり、
お話していても心配になったり・・・不安を抱えてあたしは帰国しました。

そして7月末、日本を訪問されたパードレに4ヶ月ぶりに再会してみると
顔色は凄く良いし、ご自身も「日本に来てから調子が良い」と言われているし、
力強い笑顔を見て、本当に安心しました。


パードレのお陰でたくさんのこども達が救われているし、こども達だけでなく
近くに設立された病院にも、連日たくさんの患者さんが押しかける。
本当に、社会的弱者のことを真っ先に考えて生きてこられた素晴らしい方です。
パードレがHogarを創ってくださったから、今のあたしが居るんです。

もうお歳だから、これが最後の日本訪問・・・
だなんて毎年言われているけれど、
来年も、再来年も、ずっとずっと(やっぱり超心配だけど)来て欲しいなと思う。

長生きしてね、パードレ!!!