2011/04/17

例え人種や国籍が違っても、言葉が通じなくても、
気持ちがあれば心は通じるなんて言ったりするけど、本当にそうでしょうか。

生まれてから育ってきた「環境」、その中である程度固まった「価値観」、
そして、人間の思想を支配する「言語」が違っても、心があれば理解し合えるのでしょうか。


相手がこどもなら、それも可能かも知れない。
幸いにも、ペルーのHogarの愛するこどもたちは心も頭も柔軟だったし、
それに2年間も一緒に住んで毎日嫌でも(?)顔を合わせるんだから
本当に通じ合えたなと思える子は、何人かいる。

難しいだろうなと思っていた15歳以上のこども達の方が、
会話の幅も広いせいか、最終的には本当に家族と思える(思ってる)ほど
あたしの考え方も理解してくれたし、あたしもしたと信じてる。


だけど、一緒に住みもせず、色んな意味での距離があったら、どうなんだろうと最近思う。
どうしても伝えたいことがあるから、言葉の壁を乗り越えて伝えようとする。
環境も価値観も、発想の根本的なところが違うってことも痛いほど解ってるから、
だからこそ言葉を砕いて砕いて、説明しても、それでも通じない時がある。
解ってもらえないし、解らせてあげることもできない。

これは、努力が足りないのでしょうか。
それとも、気持ちが足りないのでしょうか。
胸を張って「頑張ってきました」って言えるくらい頑張ってるんですけど…。


例えば日本から見たら、欧州や北米なんて文化も言葉も全然違うけど、
やっぱり同じように戦争と発展の歴史があって、生活環境はまぁ似てる。
そうなると、価値観だって、なんとなく通じるものがあるよね。

日本から見たアジアは、もちろん色んな国があるけれど、
経済格差や宗教の違いはあるにせよ距離も近くて人の行き来も多いし
なんとなく身近なアジア人同士、やっぱり通じるものがあるよね。

もちろん、あくまでも個人的な経験に基づくただの私見ですけどね。



でも、地球の裏側って、色んな意味で遠い。
環境は違いすぎるし、価値観も、言葉も違う。
もちろん、だからこそ面白いし、そこが大好きなんだけどね!

だけど…日本人が人間関係で重んじるべきことが、彼らにはどうでも良かったり、
彼らがすごく大事にする言葉や行為が、日本人には理解できなかったりする。
これが、すっごい大きな壁になる。

自分なりの思想やら確固たる持論が芽生える前の青少年が相手なら
そこまで苦労はしないのだけれど、大人が相手だと、この上なく難しい。



どうやらこれは、永遠の課題です。
そして、課題は、解くために課される問題です。
もちろん、解決と改善への期待とともに。


決して悲観的な気持ちで、諦めの気持ちで書いているのではありませんのでご心配なく。