2007/08/29

二次試験(その②)

長ーい待ち時間を経て、ようやく面接の順番がやってきた。

自分よりも先に面接を受けた子たちからの情報によると、
「受験番号、氏名、志望動機、現地でやりたいことを簡潔に話して」
と言われるらしかった。

でもあたしは、例えば「3分間で自己アピール」とか不自然なのが苦手で、
いきなり一人で数分間もひたすら喋り続けるのとかキライなのね。
プレゼンならまだしも、「面接」ではきちんと「会話」がしたいのです。

しかも朝からずーっと何十人もの面接をしている面接官の皆さま、
17時にもなれば、疲れ切っているに決まってる…。
第一印象で興味を引かなかったらオシマイだなと思ったのと、
この面接に関しては100%自分のペースに持っていかなきゃ
気がすまないと思い、お部屋に入った瞬間に
自ら名乗ってやろうと決めていました。にゃはは。

前の人が終わりお部屋に入ったら、まずは笑顔でゆっくりご挨拶!
意外にも、これだけで相手のペースが崩れるのですね~(笑)
ツカミはOK!と心の中でガッツポーズ♪


とりあえず『志望動機』と『現地でやりたいこと』をしばし語る。
面接官は男性5名で、真剣にあたしの話を聞いてくれてよかった!
基本的にはメインで質問される方が1名。その方からのいくつかの質問に
答え終わると、他の4名からもそれぞれ質問を受けた。

他に聞かれたことは、こんな感じ。
◆なぜ青少年活動?
◆青少年活動にあたって一番大切だと思うことは?
◆青少年活動をしたことがありますか?具体的にどんな?
◆なぜ中南米?他の地域だったら行きませんか?
◆これまでのボランティア活動、国際交流活動について話して下さい。
◆これまでに、一番ツライと思ったことはどんなことですか?
◆青少年活動にあたって自分の活かせる特技は?
◆ご家族の反応はどうですか?

圧迫も全くなく、とても親身に聞いてくれる感じでした。
一番最後のほうなのに、よくこんなしっかり聞いたり
メモとったりしてくれるなぁとこっちが感心するくらい。


どのくらいの温度でこの面接に臨むべきか実はちょっと迷っていたけど、
普通の企業に入るための面接ではないので、自分のやってきたこと、自分の
思想、自分の可能性とかをどんどんアピールした方が良いんだなと思った。

ウソは絶対についてはいけないけど、ハッタリは大事。
あとは、目を見て、ニッコリ笑顔で!
自分の「愛」が伝われば良いのだと思う。


朝から夕方までかかってすーっごい疲れたけど、
良い出会いもあったし、すごく新鮮で楽しい一日でした!

2007/08/27

二次試験(その①)

二次試験は、語学試験(英語)と面接。

平日の7月20日(金)が試験だったので、会社は夏休みを使ってお休み。
上司に「明日はどっか行くの?」と聞かれ、「え?えぇ、まぁ…」と応える。

すごく良いお天気で暑かったけど、我慢してスーツで広尾へ。
電車の中で、ママと姉に「頑張ってきます」メールをしたら、
ママからは「いつもより、ちょっと落ち着いて頑張って!」との返信。
これはなんだか嬉しかったな。

会場には何百人もいるのに、あたしのお席は一番前のど真ん中!
普段着で来る人、かなり遠くから来たと思われる大荷物の人、
とにかく本当に色んな風貌の人が入ってくるのが良く見えました。

それから今回から英語の試験にリスニングが追加されたので、
後ろの方の席じゃなくて良かったなと一安心。


英語の試験は、リスニングの追加だけでなく、
今回から全体的に内容がガラっと変わってました。
問題文自体も全て英語の冊子で、TOEICみたいな感じかな。
(って、もう何年もTOEIC受けてないけど。笑)

リスニングの中には、音声が流れるだけで問題冊子に何も
書かれていないという結構スリル満点の問題がいくつかあって、
そこで焦った人も多かったみたい。

でもあたしが焦ったのは全く別のポイントでした。
それは…長文の問題がなくなっていたこと!!!!!!
文法が大嫌いなあたしとしては、これまでの過去問のほとんどに
出題されていた、国際協力に関する長文読解が命だったのね。

でも今回は問題冊子を開いた瞬間に最後のページを見て、
長文が一個もなかったからかなり焦りました。
あぁ…あたしが点数稼げるところがないっ!っと。

だけどまぁかなり集中してリスニングも文法も解き、まぁまぁ出来たかな
という感想を持ちながら見直しをしてたら終了の時間がやってきました。
朝から英語に集中するって…結構疲れた。


とりあえず一番嫌だった英語の試験は終わったので、
面接までの間に色んな項目を済ませる。

まずは、ジャケットサイズの採寸。
合格したら着ることになる協力隊の制服みたいなもの。
勝手に、黒とか紺だと思ってたから、色が緑(?)でびっくりしました。
「袖を4センチ出しましょうね!はい、頑張ってね!」と採寸担当の
おじさんに言われ、なんだかちょっと嬉しかった。

次に、身分措置、つまり、今の職場を辞めるか休職するか等、
JICAの方に自分の意志を報告。「現職参加をお勧めします」オーラが
むんむんだったけど、このへんの気持ちは変わりませんでした。

最後に、健康診断に並ぶ。
周りの女の子はけっこうピンク色の用紙を持っている。
何かと思って聞いたら、一次の応募書類に同封した健康診断結果で
再検査の指示が出た人に送られる用紙らしい。
あたしはそんなの一つもなくて予想以上に良かったみたい。
協力隊の健康診断基準ってかなり厳しいと聞いていたので、
禁煙してきて良かったと心底思いましたっ!!
そして問診も、みんな結構長い時間先生とお話ししていたのに、
あたしは超アッサリ終わって拍子抜け(笑)
どんだけ健康になったんだろう?!

そしてその後、長い長い待ち時間・・・。
なぜなら、面接はどうやら都道府県順になっているらしく、
神奈川県民は最後でした。なので、あたしは17時スタート。
たった15分のための待ち時間はかなり辛かったけど、そのぶん
周りの子たちといっぱいお話が出来て有意義な時間を過ごしました♪

眠る人、本を読む人、面接の様子を探る人、ほんと色々。
そんな人たちを眺めながら、面接に備えて頭の整理をしてました。

・・・あれ。
面接のネタを書こうと思ったのに、全然辿り着かなかった。
次こそ、ドキドキ&ワクワクで楽しかった面接ネタを・・・(笑)

2007/08/26

ママありがとう。

昨晩、ついにママが「頑張って行ってきなさい」と言ってくれました。

この一言を、何日間、いや、何週間待ち続けた事か。
一ヶ月間くらいの長さに感じていたけど、数えてみたら2週間ちょっとだ。
本当に暗くて長い道のりだった・・・。大変だったんだよぉー!!!


娘が一人で南米に行くと言ったら、心配しない親はいないよね。
それは解っているんだけど、真面目にお話をしても「もうちょっと待って」と
なかなかOKしてくれなかったので、実はかなり苦しかったです。

JICAへの返答期限がもうすぐ来てしまうので、実はここ二週間くらい
ずーっと不安でずっとイライラしてて、信じられないくらいお肌が荒れました(笑)


ママは土曜日の夜に日本語教室で先生をしているんだけど、
昨晩、ペルーの生徒さんたちに残ってもらって色々お話を聞いたらしい。

あたしが派遣される首都リマにある『エンマヌエル孤児院』という
名前を出したら 実は知っている人がけっこう多くて、

「あそこなら大丈夫!」
「しっかりした施設だから問題ない!」
「リマなら家族も友達もいるから、みんなにマリコのこと紹介する!」
「だから先生、マリコを行かせて大丈夫だよ!!!」

と、いうお話しをしてくれたそうです…(涙)


そんなこんなで、昨日の夜、お家に帰ったら、
やっと待ち続けていた言葉をくれました。よかったぁ~。



ママから、コレだけは約束しなさいと言われたことが2つ。


■絶対に無理をしないこと。適度に手を抜くこと。

コレは本当に耳が痛いです…。中学・高校の頃から就職して3年目くらいまで
変わらなかったんだけど、あたしはやると決めたら誰に止められても
頑張ってしまう。 そして気づいた時には熱出したり倒れたりするんだよね。

人に「ちょっと!あんた頑張りすぎだから!!!」と言われても、
「いやいや、あたしホントに無理してないし」ってマジで思ってたんだよね。

さすがにここ2年くらいでだいぶ大人になりましたが、以前は酷いものでした。
コレは、絶対に守ろうと心に誓います。温泉卵くらいの温度を目指します。


■必ず2~3日に一度は連絡すること。

ママに言わせると、あたしはけっこう秘密主義らしい。
別に隠し事とか全然してないんだけど、昨日言われてびっくりしました。

お家に帰って、お仕事の愚痴を家族に言うのが何よりもキライなので
確かにそういうことは話さなかったかも。あと、彼氏の話とかもそんなに
たくさんは しなかったかも。そういう所が秘密主義なのかなぁ。

でも、あたしだって地球の反対側に行ったら日本が恋しいに決まってる。
ちゃんとネットも使える場所なので、必ず連絡すると誓います。



ママはあたしが行くのに反対したいんじゃない。
ただ、とても心配してくれていたのです。

確かに、しっかりしているとは言えないお調子者のこんな娘を、英語圏なら
まだしも 、ペルーに2年間も行かせるのは、不安かも知れない。

それでも「頑張って行ってきなさい」と言う決断をしてくれたママに、
本当に感謝です。どうもありがとう。


そしてママがこの言葉を言ってくれるまで、実はすごくたくさんの人々が
ママを安心させよう、マリコを行かせようとしてくれていたのです。

そんなお話はまた今度…♪

2007/08/25

一次の合格発表

6月29日。JICAのサイト上で一次通過者の受験番号が発表されました。
この日は朝からドキドキで、仕事中に何度もサイトを見た(笑)

気づいたのは夕方の16時くらいだったんだけど、
職場のPCでPDFを開いたら数字がいっぱいで
ドキドキしながら自分の番号探しました。

勝手に「横並び」だと思い込んで横に数字を追っていったら、
自分の番号が、ナイっ。ひぃー!!!・・・と思ってよくよく見直したら
実は「縦並び」になってて、ちゃんとありました☆


とりあえず喜んでみたものの、二次試験に向けて
英語のお勉強をしなくてはいけない…!ということで、
通勤中に大好きな曲を聴くことをしばし諦め、英語に変えました。

ところがどっこい!
自宅にあった英語のCDと言えば、学生の頃の授業で使った
「ボランティア通訳検定」のCDのみ。これね、通訳トレーニングを
やったことある人なら解ると思うんだけどCD聴いてても、
微妙な「間」があるんだよね!でもそれしか無かったので、
諦めて茅ヶ崎~五反田間、それを聞くことにしました。


それから、他にも深刻な問題が。
もし二次試験に受かったら、いよいよ会社を辞めること、
大好きなサルサのチームを辞めること、大切な家族やお友達と離れることが
どんどん現実味を帯びてきて、若干、情緒不安定な時期がありました。

自分で「受ける!」と決めたのに、妄想するだけで涙が出てきそうになって
そんな自分に一人ツッコミを入れる日々が続くわけです。

次は、楽しかった面接のことを書こう!

2007/08/24

ペルーの歴史

中学生の頃から、歴史の授業は大嫌いでした。

高校生になって、模試とかで世界史受けたら偏差値が38くらいだったのを覚えてる。 でも受験直前、予備校の日本史の先生が大好きだったことと(笑)、自宅で姉がスパルタ家庭教師をしてくれたお陰でかろうじて日本史だけは好きになった。

覚えられない自分が悔しくて、目に涙を溜めながら姉にお勉強を見てもらったことは今でも忘れません。
最終的には、国語や古文が大キライで、日本史と英語だけで
大学受験に合格したようなものでしたネ・・・。

それでもやっぱり、世界史に関係する本って
あんまり興味持てなかったんだよね。なんとなく面白いと思えなくて。
大学では国際交流学部にいたのに…読めよ!って感じだけど。


でもペルーへの派遣が決まり、ここ数週間はまさにペルー漬け。
ペルーにまつわる書籍を色々と読み始めました。

「ペルーを知るための62章」という本をAmazonで買ったんだけど、
読んでみると…すごく面白い!まだ最初の方で、南米大陸が
氷河期だった頃とか土器のお話とか。そんな古いお話を読んでいます。

かつての自分だったら全然面白いとか思わなかったはずなのに、
今はどんどん読めてしまう自分に驚いています。
ペルーについて全然知らなかっただけに、とにかく新鮮です。

まだまだ1/5くらいしか読めてないんだけど、
この先もどんな発見があるのかと思うと楽しみ!


2007/08/23

一次選考(応募書類の準備)

応募について、忘れないうちに書いておこう。

本当は「村落開発普及員」という職種で受験するつもりだったけど、
19年春募集の要請では、中南米で興味がある内容がありませんでした。
(と言うか、行けそうなのが無かったっていう理由でもある…。)

「村落開発普及員」として、女性と子どもの自立支援に関わることが
やりたかったんだけど、職種にこだわっても仕方ないので、
あっさり「青少年活動」に乗り換え、中南米の要請から3つ選ぶ。

第一志望、第二志望は、両方とも『ニカラグア』。
第三志望は消去法で『ペルー』にしました。
ニカラグアの要請はどっちも内容的にドンピシャだったので。
でもペルー、なんとなく。他になかったから(笑)


とにかく、記入しなきゃいけない書類がたっくさん。
特に大変だったのはこの(↓)2つ。

◆応募用紙
ボランティア活動に参加する動機、抱負、意義、目的なんかをツラツラと。あとは自分の応募する職種を選択した理由と、具体的にやりたいこと。それから自己PR、弱点、帰国後のビジョンとか。かなり熱い感じで仕上げました。

◆技術試験解答用紙
職種によって問題が違うんだけど、あたしは派遣先で最も重要視しなくてはならないことは何かって内容でした。子ども達とのコミュニケーションは当然のことながら、教育する立場の人たちと同じ理念を共有することって書いたかな。

学生時代に国際協力を専攻していた立場としては、
書類審査の段階で落とされるわけには行きませんっ!
と思って気合で書きました。もちろん全て手書きで…。
日頃からちょっとしたメモもPCにしてしまうあたしとしては、
正直言ってかなりツライ作業でした。

でも、久しぶりに学生時代に使っていた英語のテキストやノートを
引っ張り出しては色々読みあさって、UNやJICAやMOFAのサイト見たり、
自分の考えてることをまとめてみたりするのはすっっっごい楽しかった。

もう何年も経ってるし、最近はお仕事で英語はあんまり使わないんだけど、
それでも国際協力に関する英語の文献は辞書ナシでも普通に読めて
理解できる自分に感動しました。これも全て、弓削先生のおかげですっ☆


それから、健康診断を職場近くの病院で受けました。
血液型を調べるなんてなかなか無いらしく、針を刺された状態のまま、
看護婦さんたちが専用の試験管を探しまくってた。
アレは結構痛かったよ…(笑)


なんだかんだ、各書類のネタは揃っても、ゆっくり書き上げるための
まとまった時間がなかなか取れなくて、わりとギリギリに発送。
郵便局から念のため速達で出しました。


数日後、JICAから「受験番号のお知らせ」的なものが届いて、一安心。
応募書類が無事に受領されたってこと。間に合ってよかったー(*´ο`*)=3

2007/08/22

両親の説得

応募書類の準備より、語学試験や面接より、
会社を辞める決断より、何よりも大変なのが両親の説得。

実は秋応募の時に黙ってこっそり受験し、途中でバレて(?)
猛反対された過去があったので…。それでも受けたいと親に話し、
ようやくOKをもらって春応募にこぎつけたという経緯だったのです。

2次試験を受けて「うむ。コレはきっと合格だろう」という予想のもと(笑)、
あらためてパパ&ママに話したら、やはり予想通りの反応。


パパからは質問の嵐。

◆受かったら本当に行くのか? ⇒勿論、いきまーす。
◆結婚は? ⇒まだまだ、したくありませーん。
◆帰ってきたら29歳だろ? ⇒そうでーす!それが何か?
◆今の会社を辞めるなんてもったいない! ⇒た、確かにそれはね…。
◆帰国後はどうするんだ? ⇒考えてるけど、2年後のことは解らん。。
◆麻里子には平凡な結婚をして欲しい…。 ⇒平凡なんてムリっ!

etc、まぁ普通の父親の反応でした。
でも、最後に、「正直言って、その歳でそんな決断が出来るなんて、
パパは羨ましいよ。」と言われた時にはグッとくるものがありました。


そしてママは、実際に合格してみると、やっぱり行かせたくないモード全開。
最初はペルーと聞いて、知り合いもいるし馴染みの深い国なので、
当初あたしが希望していたニカラグアよりは治安も良さそうだし良いんじゃないの、と。

ところがどっこい、大地震も起き、急に心配になったのか、
お友達が家に来て「おめでとー!」とか言ってくれると
「おめでたくないわよ…」なんて愚痴るようになってしまった。とほほ。

でもJICAに問い合わせてリマの治安を確認して問題ない旨とか、
あたしが派遣される予定の孤児院の情報とか、色々と話して
やっぱりあたしはペルーに行きたいですと話したら、
しぶしぶOKしてくれそうなところまで来ました。


この週末に、ママの日本語の生徒さんたちの住む湘南台の小学校で
ペルーdayのイベントをやるらしい。ママが行くというので、
あたしも一緒に行ってきます!楽しみです!
その往復の車中で、熱く語ってママを落とすしかなさそうですな。

決戦は日曜日…!
ようやく問題なさそうな流れになってきて安心しました。

2007/08/20

リマの状況

リマの状況が気になって気になってJICAに問合せをしたら、
ご丁寧に職員の方がお電話を下さいました。

今、3名の協力隊員と、1名のシニアボランティアの方がリマ市内に
派遣されているらしいんだけど、市内の被害はあまり酷くはないようです。

と言うか、現地にいる彼らは特に非難する必要もなく、
これからシニアボランティアの方が派遣される予定らしいけど
それについても変更とか中止とかは懸念されていないみたい。

私が派遣されるのは2008年の3月か4月だし、
JICAとしては今回の地震の影響で私の派遣をどうこうするつもり、
あるいは中止にする必要性はないとの判断でした。

とりあえず、良かった。不安な中でも、ちょっと安心。


合格通知の「ペルー」という記載を見て、
「ペルーなら良いね」「まぁ少しは安心ね」と言ってくれていた両親が、
大地震のニュースを聞いて突然心配しだしたので
実はこれからどうなるのだろうかとかなり不安でした。

でも、とりあえず状況が解って良かったです。
あとは説得するのみ、です。

2007/08/18

(別途、合格時に書いていた日記。)

結果が出ました。受かってました。合格です。
応援して下さった皆さん、本当にどうもありがとう。

「自分が受からなかったら誰が受かるんだ」と思ってはいたけど、本当に受かってしまうと、びっくりだ。なぜって、一つ前の日記にも書いた通り、もう一つ、すごくやりたいというかやってみたい事を見つけてしまったから。

こんな書き方をすると、合格出来なかった人に失礼だと言われてしまいそうだけれど、決して軽い気持ちで受けたわけでは全くないのです。

本当に真剣に時間とお金を費やして、学生時代に大切にしていたテキストをたくさんたくさん読み返して、英語の勉強もちゃんとして臨んだんだもの。書類作るのも本当に大変だったし、試験のために貴重な夏休みを使ったし。それに、タバコやめたり健康に気をつけたり、色々頑張ったよ。超健康体に見えるけど、実は「キョジャッキー」と呼ばれたりしていたしね。かなり厳しい健康診断を通っただけでもエライと思う(笑)

WEBで発表されて、自分の番号を見つけて、純粋な嬉しさと、まぁ当然だよねっていう安心感と、じゃあこれからどーしようっていう本気の悩みが頭の中をぐるんぐるんしています。

今夜は最愛の姉に会うので、じっくり話しを聞いてもらいます。まぁ決めるのはいつだって自分なんだけど、良き理解者であり、超冷静な人の意見を聞いてみたいので。そしてお盆は、お部屋の整理整頓をして、頭の中も整理しようと思います。 今いちばんやりたい事は何なのか。じっくり考えて、答えを出さなくちゃ。

ともあれ、あるチャレンジをすると自分で決心して、それに向けて努力をして、両親を説得して(コレまだ足りてないけど。笑)、あーだこーだ悩んで、面接で熱い想いを語って、そして認められて合格出来たっていうのは本当に嬉しいことです。

そして、学生時代に学んだこと、それを通して自分の中に芽生え、就職してからも忘れないように守り続けた自分の信念は、やっぱり間違っていなかったんだと思うことが出来ます。それが、何よりもすごく嬉しい事です。

行くか行かないか、結論は今すぐには出せないけれど、とりあえず今夜は最愛の姉とともに、旨い酒を飲みたいと思います。 応援してくれた皆さん、本当にどうもありがとう。取り急ぎ、ご報告でした。

2007/08/17

ペルー沖地震

被害がどんどんスゴイ事になってきてる・・・。

死者が510人、負傷者2000人、被災者80000人以上。
そして・・・脱獄者600人?!


あたしが派遣されるのはリマ北方の予定なんだけど、
被害が集中しているのはリマ南方が多いらしい。

ママの日本語教室の生徒さんたちの出身地はどこだろう。
ご家族は、帰国した人たちは、大丈夫なんだろうか・・・。


あたしは予定通り派遣されるのか?
違う職種で行った方が良いんでないのか?

なんて思いつつも、募金しか出来ない今のあたしデス。
色んなことが不安だ・・・。

2007/08/16

きっかけ。

協力隊応募のきっかけは、思い起こせば去年の秋でした。
そうなんです。実は結構前から考えてたんだよね~。

「2年間フランスに留学することにした」と言う、 高校時代に
予備校で知り合った親友からの一言がきっかけだったのです。

自分が今、一番居たい場所はここじゃないってことを認識しているのに、
どこに行くべきか解らなくて模索していた頃だったから。
この頃は本当に迷ってばかりでお仕事にも集中出来なかったなぁ。
今思うとかなり反省・・・(笑)


彼女の言葉を聞いて、その決断がすごく気持ち良くて、嬉しくて、
「この先きっと何十年も生きて行くんだから、
たった2年間くらい自分の好きなことやって何が悪い」って思った。

それと同時に
「いやいや、もーすぐ死んじゃうかも知れないんだから、
今やりたいと思うことは全部やっておかなきゃ」とも(笑)

相反する理由だけど、とにかく「やりたい事は、今、やらなくちゃ!」でした。


もちろん留学とか転職とか、色んな手法を考えたんだけど
最終的に、青年海外協力隊を選びました。

これにした理由は本当に色々な要素があるので、そのへんはまた。
時間に余裕がある時にでもゆっくり書くことにします。

ペルーで地震!!!

15日にペルー中部沿岸部でM7.9の地震!!
ひぃ~。さっそくこんなニュースです。

日経のニュースによると・・・
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ペルー中部沿岸部で15日午後6時40分(日本時間16日午前8時40分)ごろ、マグニチュード(M)7.9の強い地震が発生した。AP通信によると、ペルーのニュース専門チャンネルは少なくとも17人が死亡、70人が負傷したと報じた。
米地質調査所(USGS)によると、震源地は首都リマの南南東145キロで、震源の深さは約41キロ。また、米ハワイの太平洋津波警報センターは中南米諸国に対し津波に対する警戒を呼びかけている。
リマでも大きな揺れが少なくとも20秒間続いたほか、余震も数回あったという。一部地域では停電や携帯電話が不通になっているほか、人々が家の外に飛び出し、帰宅を急ぐ車で道路の混雑が続いているという。また沿岸部では津波に備え、住民をすでに避難させた都市もある。
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だそうです。この規模ってけっこう大きいね。
復興支援の手が速やかに届きますように。

今までは中南米に関するニュースってそんなに注意してチェックしていなかったけれど、これからはそうも行きません。色んな情報チェックしていこう!

2007/08/15

合格しました!

青年海外協力隊、平成19年度春募集に合格しました。

任国は南米のペルー。『青少年活動』として2年間、孤児院で活動します。
19年4次隊として、年明けの1月から長野県駒ヶ根にて研修を受け、
3月末あるいは4月初旬にはペルーに旅立ちます。

よくよく見てみると、今期の募集でペルーに派遣されるのってあたし一人だけ!
なんであたし?他にも希望者いたの、面接会場で知ってるけど・・・。
別に良いけど、でもさすがにちょいと不安なんですけど・・・(笑)
まぁ、他にも希望者がいたのに合格もらえたのはありがたい事ですな。

試験のこと、合格してからの派遣前訓練のこと、Peruのこと、
これから2年間の記録を、このblogに残していくことにします。

青年海外協力隊としてPeruに派遣されている人ってあまり多くないので
これから行く人たちの参考にもなると良いなと思ってます。