「ありがとう」と「ごめんなさい」は人間関係の潤滑油だという表現は、
おそらく日本人ならば誰もがよく耳にするでしょう。
あたしにとっては当たり前なんだけれど、こっちに来てから「なんでそんなにありがとうって言うの?いつも感謝してるね」とたくさんのペルー人に言われてきました。そう思うから言うだけであって、逆に言わないと気持ち悪い。それだけの事です。
そして、「ごめんなさい」に関しても同じ事。ちょっとでも嫌な思いをさせてしまったかな、煩わせてしまったかなと思ったら、自然と口から出るものじゃないでしょうか。そう信じて生きてきたのですが…なかなかそうもいかないのが、文化・習慣の違いなのでしょうか。
昨日、まぁ笑い話だけど、ちょっと衝撃的な事件がおきました。
ペルーのハンバーガーチェーン店BEMBOSに、Hogarのスタッフと一緒に行った時の出来事。
チキンとシーザーサラダ入りのハンバーガーを注文して、作ってくれるのを待って、いざ食べ始めてからチキンが殆ど生だった事に気が付きました。「おっとー!生の鶏肉なんて、日本の地鶏専門店でじゃなきゃ食べないよ!!!」と思いつつ、カウンターのお兄さんの所に持っていく。
すると…「あはは、本当ですね」と一言。
そう、ここは日本じゃないから、開口一番「お客様、申し訳ございません!」がなくっても、ぐっと堪えて我慢。レストランやお店で、店員さんがお客さんに謝ったりする事ってなかなか無いの。それが当たり前なの。そういう国に一年以上も住んでるんだから、ぐっと我慢したのです。でも「あはは」って笑い方に、怒りレベル20。
その後、その青年はお店の中に入っていき、作っている青年達に「生だったよー」と言いに行った。彼らは口々に、「俺知らねー」「俺じゃねー」って言っているのが聞こえてくるような態度。あたしは誰が作ったか知っている。黒ブチメガネ君、犯人はお前だ!よく見る責任の擦り付け合い合戦を目の当りにしたこの時点で、怒りレベル60。
そして、カウンターにいた青年は気まずいのか何なのか、厨房に引っ込んだまま出てこない。あたしは時間がなかったので、おいでおいでをして「あたし、あそこに座ってるから持ってきてくれるよね?」と訊いてみた。そしたら自信満々で、「はい!お持ちします!!」と。「ごめんなさい」はなくても、まぁ持ってきてくれると言ってるんだから許そうかなと、大人しく席に戻る。大人になるんだと自分に言い聞かせ、怒りレベルは40程度に。
スタッフとお喋りしながら待っていると…カウンターの中からBEMBOSスタッフが、あたしを呼んでいる。なぜか、持ってきてくれるって言ったあの青年が、あたしの事を呼んでいる。ちょっとちょっとと思いつつも、ここで意地張るのもなと思い、大人しく向かう。もうあたしの「怒りメーター」は諦めに変わり、「がっかりメーター」のレベルが60くらいに。そんな事に気づきもしない彼は満面の笑顔で、無言でハンバーガーをトレーに載せる。
あたしは、お願いだから「ごめんなさい」くらい言ってと願いつつ、カウンター前に行ったものの、何も言う気配はない。なぜかあたし、ハンバーガーを受け取るという行為をするのに「ありがとう」と言わずにいられなく、ものすごく不本意だなと思いつつも、謝りもしない彼に対して小声で「gracias」と呟きながら受け取りました。言ってしまった自分がさらに情けなく、がっかりレベルは80に。
でもね、お願いだから何とか言ってよねと心の中で願いながら、一瞬、本当に一瞬だけ、カウンター越しにその青年を見つめてみたの。「この思い、伝われ!」と思って。
そしたら…彼はやっと口を開きました。
「セニョリータ、ケチャップ、いりますか?」
…撃沈。
この時点で、あたしの怒りレベルが100を余裕で通り越したのは言うまでもありません。
でも、やっぱり情けなさが勝って、何も言えませんでした。店長を呼び出してお説教しようかなと一瞬考えたんだけれど、解ってもらえるはずはないだろうと思ってしませんでした。
一緒に食事をしていたスタッフには、あたしがどうしてあんなに憤慨していたか理解出来なかったらしい。それはそれで、すごく寂しかった。なぜなら16年間Hogarで働いている彼女にとって、今日の出来事がなんでもない当たり前の事だとしたら、Hogarのこども達にとっても同じって事でしょう。
「ありがとう」と「ごめんなさい」を言えないこども達がHogarに多いのは、仕方がない事なのかも知れない。別に彼女を非難しているわけではなく、彼女が小さい頃からずーーーっとそういう環境だったんだから、そういう習慣がなかったんだから、仕方ないんだよね。
夜、ペルー人の友人に話したところ、「マリの気持ちはすごくよく解るけれど、残念ながらペルーではこれが当たり前」と。みんながそれに慣れているから、「ありがとう」と「ごめんなさい」が無くてもなにも思わないし、だから言わない人が多いのもある意味では自然なんだって。なんだかとっても悲しいよね…。
たまたま昨日は色んな事があって疲れていたので結構凹んでいたんだけれど、そんな態度を見て「ペルー人として恥ずかしい」とまで言わせてしまいました。とほほ。色んな事に慣れなくてはと思っているし、実際にペルーでの色んな事に慣れてはきた。でも、こういう事に関しては、何回繰り返したって慣れる事は出来ないみたいです。
文化や習慣の「違い」というのは尊重するためにあるべきモノだと思っているけれど、例えばそこに存在する概念でもってその違いを埋められるのであれば、尊重で終わるのではなく、埋める努力をすべきだと思う。それが人間関係にマイナスに働く違いの場合はなおさらの事。ましてや「ありがとう」と「ごめんなさい」という概念が存在しない文化圏があるとは思えないし、こんなに簡単に人間関係を繋いでくれる言葉もそうそう無いと思う。
夫婦や恋人間だけでなく、家族や友人間でさえ「Te quiero」「Te amo」と愛情を注ぎまくるこっちの文化は素敵だけれど、愛情と同じように「礼」と「和」を重んじる文化があったらどんなに素敵かなと、ふと思ってしまいました。
育ってきた環境による部分が大きいのは百も承知だけれど、あたしはこのHogarで、「ありがとう」「ごめんなさい」運動を、細々と、愛情もって最後まで続けたいものです。