2008/01/04

オーパの血



我が家では、母方のおじいちゃん、おばあちゃんのことを「オーパ」、「オーマ」と呼びます。物心ついたときにドイツに住んでいたため、彼らのことは自然と「オーパ」、「オーマ」と呼んでいたのです。あたしの両親も、ドイツに住んでいなかったあたしの従姉妹たちもそう呼ぶし、、なんと本人たちも自分のことを「オーマはね」って言うんです。面白いでしょ。(そのかわり、日本に帰ってきた時、自分のお家の習慣が人と違うことに気がついて恥ずかしいお年頃だったけど・・・。)



まぁ前置きは良いとして、実はあたしのおじいちゃん(以下、オーパ)は、アンデス山脈の険しい方のルート(アウサンガテ)の登頂に成功した、世界で初めての人なのです。あたしが産まれるずーっと前、あたしのママが幼稚園生くらいだった頃だから、だいぶ昔のこと。1959年、まだ地図がなかったアンデス山脈を探検に行った、「ペルー・アンデス探検隊」の隊長さんでした。当時は、「南米アウサンガテ南峰6200メートルに初登頂!」と、新聞でもだいぶ騒がれたようです。
オーパは、あたしが幼稚園の時に癌で亡くなったからもう当時のお話を聞くことは出来ないんだけど、オーパが残した一冊の本「インカの山を探る」というものがあります。もうかなり古くて、本屋さんでもAmazonでも買えないほど。ネットで探して探して、かなりレアな古本屋さんのネット販売を見つけて入手したものです。

この本を入手したのは確か一年くらい前で、あたしはパラパラと読みつつもそのまま置きっぱなしにしていたひどい孫。まさか、自分がJOCVとしてペルーに派遣されることになるとは、当時は思ってもいませんでした。

JOCVの試験を受けて、8月に合格通知を受け取って、車の中で封筒を開いて、目に飛び込んできた「ペルー」という文字。あぁ、運命なんだなあって思った瞬間のこと、今でも忘れません。
オーパは、普通のサラリーマンもしていたけど、定年後、実はJICAの専門員としてタイでお仕事をしていました。当時のテレビ番組の録画や、論文なんかも、オーまのお家にはたくさん残っています。植物のオイルを使って、ガソリンの代わりにしようという研究のため、あたしが生まれる少し前からタイに住んでいたのです。タイに付いていくオーマは、広尾のJICAで、タイ語のお勉強をさせてもらっていたらしい。昔から派遣前訓練は徹底していたんだね。すごいよね。


大学生の頃から、国際協力の勉強をはじめたあたしは、当時からオーパと話したいことがいっぱいありました。「オーパはどう思ったかな。どういう手法を取るのかな。あぁ、オーパと話したいなぁ」って思った事、何度あったことか・・・。
もう天国にいるオーパとお話は出来ないけれど、あたしが学生時代に国際協力を専攻したこと、JOCVとしてペルーに行くこと。きっと、誰よりも喜んでくれてるんじゃないかなって思っています。


色んな人に心配かけてるとは思うけど、オーパの血だから、仕方ないよね。
孫として恥ずかしくないように、駒ヶ根では楽しく頑張ってきます♪
オーパ、応援してね。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

へえー!なんか運命を感じますね!!
ペルーに呼ばれた女・・・。
でもちゃんと帰ってきてね!!!!

Mari さんのコメント...

ありがとう。
ペルーでは色んなことがあると思うけど、きっとオーパが見守ってくれてると勝手に信じているので大丈夫!帰ってくるよ~♪

匿名 さんのコメント...

お~超すごいですね!!!
びっくりです。
しかし、不思議と運命って感じることありますよね~。
この歳にして感受性が高まってるからなのかもしれませんが、このところ特に。

普通のサラリーマンも強い気持ちがあれば自分なりの生き方ができることをリアルに感じて勇気が出ました。

しらたまさん、オーパありがとう!!!
僕もまだどこに行くかすらわかりませんが、頑張ります。