2009/02/28

ほのぼの土曜日

今週末はHogarのこども達とゆっくり過ごすことに決めました。
と言っても、来客があったりしたから出られなかったんだけれどね。


さて、本日の動画をお届けします。

てけてけと、一人で走るElias。
来た頃は歩けもしなかったのにねぇ。こどもってすごいね。

来週から、めでたく幼稚園に通います。
おめでとう。すくすく育てよ。

2009/02/27

衝撃

昨日、Sebastianという少年にポツリと質問されました。

Señorita MARI, ¿por que usted no va a buscar un trabajo?
(セニョリータ、どうしてお仕事探さないの?)


えーっとね…

他のスタッフみたいにお勉強しに出かけるわけでもないし、
心理カウンセラーでもないし、コシネーラでもないし、
運転手でもないし、お金もらってないしね…。
一見、「のほほーんと毎日ここに居る人」って感じよね。

キミたちと色んな事を学ぶ以外にも、Hogarの改善のために
ひっそりと頑張って活動しているつもりですけど、これじゃ、ダメかい?

協会のご好意で老人ホームにバスタブ付きのお部屋を用意して頂きながらも、
こども達と過ごしたいがためにHogarの中に住んでいるっていうだけでも
巷ではかなり評価して頂いているようなのですが…やっぱり、ダメかい?



そう。そー言えばあたし、「自分の家」が無いんです。
誰にも気を遣わなくて良い場所が、無いんです。


例えばCDプレーヤーを買おうかなと思ったけれど、
それを買えないと嘆いているスタッフが居るから、無理。

自分のお部屋に小さなテレビを買いたいけれど、
こども達はもちろん、スタッフ達の手前、もちろん無理。

ギターをJulioにあげたから、自分のためにもう一つと思うけれど、
当然のことながら、そんなのも無理。

心トキメクお洒落な靴を見つけても、スタッフ達に「いつ買ったの?いくら?」と
訊かれてしまうから、そんなのも絶対に無理。

体調が悪くて自分好みのものを作って食べたいなと思っても、
一人分だけ作って食べるなんてことも、絶対に無理。

せめてもの贅沢!と思ってコーヒーメーカーの購入を考えたけれど、
スタッフ達にいつか知られると思うと…、はい、無理。


本当はお部屋にミニ冷蔵庫くらい欲しいんだよ。
いつでもアイスが食べられるとか、いつでもロックでラムが飲めるとか、
頑張った日には(マードレと喧嘩した日とか!)には夜中に一人で
冷えたビールをプシュっと飲めるとか、
そのくらいの贅沢したいって気持ち、あっても良いよねぇ…。



あれ…
Sebastianからの衝撃の質問について書こうと思ったのに、
家なき子の憂いの日記になってしまった。

ま、いっか。
とりあえずあたし、こんな生活してるんです。

仕方ないよね。
忍耐は人を成長させてくれるよね。
スタッフやこども達となるべく同じ視線で…頑張るのだ。

2009/02/26

皮肉なもので

何とも皮肉なもので、大きい少年たちがHogarを去ってからというもの、少し距離を置かれていたような気がする少女たちが、ここ一ヶ月くらいでものすごい懐いてくるようになりました。嬉しいやら、寂しいやら、なんとも複雑な心境なんだけれど、やっぱり嬉しいことに違いはない。今までは少年達のお姉さん的な存在だったけれど、最近はわりと彼女たちのお姉さんになりつつあります。


例えば、爪の切り方。少年達には「男は短く切りなさいッ!」と個人的な好みを有無を言わせずに押しつけるけれど、女の子達には「きれいに伸ばせばいいんだよ~」と、スタッフに隠れて言い続けているあたし。爪をスクエアにカットするだけで、女の子達からは尊敬の眼差し。教えるまでもないんだけれど、キレイに切る方法を教えては喜ばれています。

例えば、お化粧の仕方。もちろんHogarのこども達はお化粧なんてしちゃいけないけれど、誰かのお誕生日とか卒業しきとかそういった機会では黙認されるのです。ここぞとばかりに手伝ってあげるんだけれど、ビューラーでまつ毛をキレイにカールしてあげるだけで、大感激の彼女達。先週の日曜日は15歳になった子のパーティーだったんだけれど、5人くらいの女の子がマスカラ塗って~!って来てくれました♪

例えば、ペディキュア。お洗濯は手洗いなのでマニキュアはこっちに来てから確か一度も塗ってはいないけれど、ペディキュアだけは常にしています。こども達にも、足くらいなら良いよねってことで、こっそり塗ってあげているんだけど、この時間が、めちゃ楽しい。少年達の髪の毛を切りながら、あーだこーだとちょっと真面目な話をしていたのが、彼女たちとのそういう時間になりそうです。


少年達がHogarに居た頃は、やんちゃな彼らに付きっきりで、そういう時間を女の子達と過ごすことが殆ど出来なかったんだよね。なんか、勝手に少年達の面倒を見なくちゃいけないような気がしてしまって。前々から彼女たちとの関係をなかなか深められないのは反省していたけれど、最近どんどん親しくなってから、やっと解ってきたような気がする。

Hogarのこども達は、たぶん、人一倍、嫉妬深いんだと思う。「嫉妬」って言うと度が過ぎるかも知れないけれど、日本で普通に育った思春期の子たちは「親なんてウザイ」とか思う一方で、彼らはウザイと思うほどに構ってもらえていないわけだから、「自分が誰かの一番」になってみたいに決まっているんだよね。

それを、解っていなかったというか、解ってはいたけれどもそれを考えた上で行動出来なかったなぁと、今になって思う。「全員を平等に」とか、「全員と同じ時間」っていうのは本当に難しいけれど、とりあえずここ一ヶ月、本当に誰もあたしと距離を置こうとしていないのが良く解る。むしろ、用事も無いのに話しかけてきたり日本語をもっと覚えようとしてくれたり。それが、本当に嬉しい。


もうすぐ一年も経つと言うのに、ようやくかぁと自分にツッコミを入れつつも、女の子達と本当に良い関係を深めていけそうでホッとしています。ま、少年達が去ったのは寂しいに変わりないけどね。

2009/02/24

出会い。

昨夜は、日秘会館にてレセプションがありました。
Hogar Emmanuelの創設者でもある加藤神父様、そしてペルー野球連盟の丸井さんが、それぞれ日本とアメリカの財団から表彰されたのです。いそいそと、和服でお出かけ♪


そこで、なんとも素敵な出会いがありました。
だいぶ前の日記に何度か書いたことがあるけれど、オーパ(あたしの祖父)はかつて、ペルーのアウサンガテに登頂した登山隊の隊長でした。協力隊の合格通知を受け取って行き先が「ペルー」と解った時には、半ば冗談で「オーパに呼ばれた」なんて言っていたけれど、最近、本気でそう思うことが多い。

レセプションはすごい人で、お世話になっている協力隊OBの大森さんに色んな方に紹介して頂く中で、おそらくこの方々がいらっしゃらなかったらオーパの遠征は成功してなかったのでは…と思うような方々と知り合うことが出来ました。


※天野さん、長谷川さんと一緒に。

向って左側は、故・天野芳太郎さんの奥様。オーパの本「インカの山をさぐる」の中で、大変お世話になったと書かれています。天野先生のご尽力のお陰で、色々な場面で優遇されたようです。

そして右側の方は、現ペルー新報のDirectora。本の中にも何度か登場する「長谷川さん」ですが、なんと偵察隊で来ていた際、リマではこちらのお宅にお世話になっていたそうです。

長谷川さんに関しては、オーパの苗字「竹田」と言っただけで、同行していた方のお名前まで思い出して下さって、「確か、日焼けしたほっそりした方よねぇ…」と。覚えていて下さったこと、お世話して下さったこと、本当に嬉しくて感動しました。


もしも大森さんが、「実は彼女のおじい様は…」と話を切り出して下さらなかったら、きっとごただの挨拶だけで終わってしまっていたような気がする。

※藤井さん、大森さんと一緒に。


大森さんに感謝。人との繋がりに感謝。
オーパにも、感謝。


そして…久し振りの和服、やっぱり良い。
日本人の集まるパーティーには、やっぱり和服がいなくちゃね。

「マリコさん、ジーンズよりも着物が似合うわね。Hogarにいる時とは全然違っておしとやかね!」と、老人ホームのマードレにお褒めの言葉を頂いてかなり嬉しかったです。こんなに日焼けしても、似合うって言ってもらえた・・・(涙)

日本人ですからね。
なんだかんだ言って、和服姿の自分が一番好き。
Viva、大和魂!!!

2009/02/23

どこまで…?

どこまでやれば良いのか。どこまでやって良いのか。
最近はそんな事ばっかり考えてしまう。


期間はたった2年間なんだから、Hogarのこども達との交流はもちろん第一だけれど、自分が居なくなった後のことだって当然考える。だからこそ、施設の運営だとか、スタッフたちの仕事に対する姿勢だとか、あまりにも突っ込みどころが満載だったもんだから、この一年間、こども達の面倒見るだけじゃなくて大人たちにも色々と働きかけてきたわけです。

でも、先週末の打ち合わせで、Hogarを出て行ったこども達との交流を毛嫌いするマードレの気分をあまり害さないように、そういうことは少し控えて欲しいと、エンマヌエル協会から言われてしまいました。確かにスタッフの首が飛びそうになってしまったから、問題を起こした原因も責任もあると認めます。

だけど、元凶はマードレ。マードレがこども達を追い出した。だから、自分の活動とは完全に切り離して、ただ彼らの力になりたいと思って関わっているだけのこと。それに、スタッフ達がマードレに首切られるのを怯えて、こども達のために働けない現状を何とかして変えたいだけ。それを制限されるのは、とても苦しいのです。だってもう、あたしは彼らに出会ってしまったし。


とっても悲しかったのは、日系人のマドリーナ達やペルーに長く住む日本人、それからその他の国籍の人達にまで、「ペルー人はペルー人。ある程度諦めないとダメ。」と、言われてしまったこと。さらに、「気持ちは解るけれど、もう小さいこども達のお世話に徹しなさい。大きいこども達はもう変わらないよ。」とか、「ペルー人は「変わらない・変えない」のが文化だから、マリの理想は解るけど、きっと無理だと思うよ。」と。


…果たしてそうでしょうか。

もちろん、こども達との事に関しては、自信を持って言える。大きい子ども達だって、あたしと一緒に、色んな事を学んでくれた。そして、あたしもそこからかなりのものを得た。チビッ子達に比べると、本当に心を開いてくれるまでは結構大変だったけど、大変なぶん、それが醍醐味というもの。それに、こども達との関係は、他の誰よりも、こども達とあたし自身が一番良く解っているからね。

でも、ペルーを良く知っている人たち(しかも色んな立場の人たち)から「変わらない・変えない」のがこの国の文化だ、諦めろと言われてしまうと、本当に、心底辛い。あたしの乏しい語彙力ではとうてい表現できない程に、心に重く圧し掛かっているのです。


あたしが踏み込めば踏み込む程にマードレが嫌がるなら、もうこういうやり方は、止めるべきだろうか。物事を長期的に考えられないスタッフ達も、マードレが嫌がることをあたしが続けるのを、きっと嫌がるに違いない。波風を立てずに、間違っているのを承知の上で大人しくこども達の面倒だけ見ていれば良いのだろうか。

でもそんなの、胸張って「あたしの仕事だ」って言えない。
かと言って、協会やスタッフの気持ちが解る分、そう簡単には突き進めません。
どこまでやって良いのでしょうか。悩みは尽きません。

2009/02/20

やってよかった

昨日、マードレと怒鳴り合ったと書きました。
でも最終的に、怒鳴っといて良かったと心底思う結論になりました。


明らかに悪い事をしていないのに、かなり理不尽なことで注意をされました。いやむしろ、人助けをしているだけのことなのに、興奮状態のマードレにはもう何も理解不可能だったのでしょう。こども達がいる前で初めて、あたしにキツイ口調で話し出しました。

そう、Julioが叔母さんのお家を出てHogarのすぐ側に居るということを、叔母さんからのお電話で知り、追い出したはずの彼が、未だにあたしやスタッフのRuthと連絡を取っているというのが本当に気に入らなかったらしいのです。この近くに住むのも駄目だと言い出し、そんなの彼の自由でしょう、となだめても聞く耳持たず。

冷静に相手をするつもりで「大丈夫ですよ、何にも問題ないですよ」って言っても全く解ってもらえず。しまいには「あんたはただのボランティアなんだから黙ってなさい」とまで言われてしまいました。そりゃ、あたしはただのボランティアだけど、でも何も悪いことしてないし、こども達を守るのがあたしの仕事だから。あなたが追い出したから、応援しているだけだと言い返したわけです。

そしたらマードレ、ブチ切れ。すごい剣幕で怒鳴ってきました。興奮のあまり「エンマヌエル協会に報告するから」と言い出す始末。えーっと、それ、あたしの台詞ですけどね(笑) 申し訳ないけど、あんたエンマヌエル協会から信頼されてないの知らないのかい…と言いたいところをグッとこらえて「じゃ、あたしもエンマヌエル協会に相談しますから。ご心配なく。」と怒鳴って終わりました。


あたしはこの10ヶ月間、何があっても怒鳴ったりせずに我慢してきたので、マードレも相当びっくりしたのでしょう。今までは、ただのボランティアなんだから、とりあえずそれなりに大人しく水面下で動こうと思っていたけれど、今回ばかりはあたしも耐えられずに怒鳴り返してしまったのです。

その後、かなり反省した。彼女のお仕事が何とかならないものかと、エンマヌエル協会の方や彼女と親しかった神父様に相談したりして、かなり手を尽くしました。そしたら結局、今日の午前中にはマードレが考えを改めて、Ruthは職場復帰。って、あたしにしてみればそんなの当たり前なんだけど、とりあえず各方面から圧力をかけてもらえるという結果になりました。


まぁ、怒鳴り合いっていうのは本当は絶対に良くないけれど、さっき打ち合わせをしたエンマヌエル協会の顧問やマドリーナ達に言わせると、怒鳴り返しておいて正解だと言ってもらえたので一安心。まだ良く解らないけれど、ペルー人には、そうした方が良いんだって。「怒らせたら怖い日本人」だという印象を植え付けられたから、とりあえずこれで良いらしい。ちょっと救われた気分です。

さて。これからの課題は…
「怒鳴り合いで負けないスペイン語力」を身に付けること(笑)
って、もちろん冗談だけど、でも、言いたいことを言いたい瞬間に色んな表現方法で出せるようになりたものです。最近お勉強してなかったから、ちょっと頑張ろう。

2009/02/19

やっちまった

ついにやってしまいました。

マードレと、怒鳴り合いの大ゲンカ。

でも先に怒鳴り始めたのはマードレだもんね!

って、こどもか、あたしは…。


今までずぅーーーーーーーーっと我慢してきたから、

まぁスッキリしたと言えば、けっこうスッキリ。


でも、やっちゃったよねぇ…

お陰様で(?)こども達からの支持率はまたウナギ登りですけど、

もう支持率100%近いあたしには、そんなのはどうでも良くって…


あぁ。スタッフの皆さん、ごめんなさい。

でも、正義が勝つって、あたしは信じてるの。

こども達にもスタッフ達にも、それを教えたいんだよ。

横暴なマードレに屈する必要なんてないんだってことを。


いつか(出来れば任期中に)届くと信じて…!!!!!!

詳細は、落ち着いたら書きますね。



あぁ。

やっちゃったー。



夕日が綺麗で、余計に凹んだね。


でもね、凹んでも怒鳴り合った事実は消えないから、かわいい写真で癒されよう。



ドクターシーラボを塗り塗りするElias。

おっし。ちょっと元気になった♪


あたしの闘いは、まだまだ続く…!

想像力の限界

昨日、Julioとお出かけしました。

おじいさんとおばあさんのお家に、一人で暮らすことにしたからって報告しに行くのに付き合った。まぁあたしはお家の側にあるインターネットで時間潰して待ってたんだけどね。

2時間くらいお話して、Julioは戻ってきた。この前まで一緒に暮らしていたのは、お父さん側の叔母さん。彼ら家族とはちょっと上手くいかなかったから、今回はどうだろうってドキドキして待ってました。でも、昨日お話したのは、お母さんの妹さんで、ここに住めば良いじゃないって言ってくれたりすごく心配してくれたけど、最終的には「とりあえず一年間頑張ってみれば」って言ってくれたみたいで一安心。


でも、かなり衝撃を受けたことが一つ。彼ら兄弟には、ご両親はいないんだと思ってた。なぜなら、かつて弟のRicardoに「生きているのかも知らない」って聞いたことがあったから。でも、実はお母さんは、昨日Julioが行ったおじいさん達のお家で普通に暮らしていたの。あたしは昨日まで、それを知らなかった。もう亡くなっているんだとばっかり思っていたから、あたしも深くは聞かないでいたわけです。

動揺を隠しつつ、「で、お母さん何て言ってた?」って聞いたら、
「挨拶はしたけど、横に座ってるだけで別に何も。見てただけ。」だって。

実の母親に、Hogarを出て、叔母さんのお家も出て、一人で生活することに決めたよって報告しに行って…何も言われないJulio。どんな気持ちだったのか、とてもじゃないけれど想像が出来ません。12月にも、この前まで一緒に住んでいた叔母さんたちと一緒に会いに行ったらしいんだけど、その時も挨拶しただけで何も喋らなかったんだって。

…信じられる?! 無理だよね、そんなの。
あたしには、どうしても理解できなかったよ。
お母さんの気持ち、Julioの気持ち、想像しようと思っても、どうしても無理だった。


Julioとよく話をするようになって、7ヶ月くらい経った。だいぶあの子のことを理解しているつもりでいたけれど、昨日、あぁ、そうだったのねって、納得できる事がたくさん見つかったような気がする。実のお母さんが居るのに、引き取るどころか訪ねても来ない、Julioが生きているのかも去年の12月まで知らなかったようなお母さん。だから、きっとあたしにはお外で待ってて欲しかったんだろうな。会ったらあたしがショックを受けるのを彼は解っているから、紹介したくなかったんだと思う。

でもね、Julioを待っている間のインターネットで、ママがくれていたメールを読んで、あたしは凄く嬉しくなって、帰り道にそのことを話したのね。

「あたしのママはJulioのこと知らないけど、マリコとは違って、きっとアイコみたい物事を慎重によく考える子だろうからきっと大丈夫ってメールが届いてたよ。上手く行かなかった場合とかまで考えるタイプで、ついつい悪い方へ考えすぎそうだけど、実は結構しっかりしてるんじゃないのって。何で会ったこともないのに解るんだろうねぇ…すごいよね。」って話したら、めっちゃ喜んでた。

Julioはあたしの姉のことも大好きだからね。例えがアイコで嬉しかったんでしょう。いつも「なんでそんなネガティブなわけ?感染しそうだからそーゆーのやめてくれない?!」と言っているあたしに対して、「そーだよ!ただ、マリとは違ってよく考えるだけなんだよ!」って、ちょっと得意げに言われてしまいました(笑)


そんなこんなで、一人暮らしへの準備は着実に進んでおります。今日は、履歴書を作ってあげたし、あとは面接に行く前に髪の毛を切ってあげれば大丈夫かな。


それにしても、Julio母…未だに信じられません。何も言ってくれないお母さんを持ったJulioの気持ちがあたしにはどうしても解ることは出来なくて、それもまた、途方もなく悲しい。

あと一年ちょっとで日本には帰っちゃうけど、あたしが、あんたの家族だよ。

2009/02/17

Julioの決断

12月に出て行ったJulioが昨日、叔母さんのお家を出ました。これからお仕事を始め、夜間の学校に通い、一人立ちします。ついに彼は、自分の人生の歩み方を、初めて自分で決めました。

ご両親が生きているかも知らない状態でHogarに連れて来られ、そして学校を卒業するまであと1年だけなのに、マードレの理不尽な都合で残念ながらHogarを追い出され、一昨年になってひょっこり現れた「私が叔母です」という人と一緒に住んだお家はとっても居心地が悪く、さらにはご飯も満足に食べられなかった。自分の意思とは全くと言って良いほど関係ない要素に支配されて生きてきたJulioが、自分で自分の人生を切り拓くと決めたのです。


12月の終わりから、叔母さんのお家に行ってから全然幸せそうじゃないJulioを見てきたから、スタッフのRuthと一緒に、何とか彼の力になれないだろうかと考えてきた。少し時間はかかったけれど、Ruthのお兄さんがお仕事を探すのを手伝ってくれて、力仕事だけれどちゃんとした会社でのお仕事を見つけれくれることになった。そしてRruthのお友達のお家に、間借りさせてもらえることになった。Julioも、自分で覚悟を決めた。

それを聞いた叔母さんはものすごく心配して、猛反対。彼女には6人こどもがいて、4人は成人しているのに、誰も働いていない。言うなれば「子離れできないお母さん」なのです。そして「Juulioにそんなこと吹き込んだのはどこのどいつだ!連れて来い!」という事になり、昨日の夕方、Ruthとあたしは彼女のお家にお話をしに行ってきたわけです(笑)

30分で切り上げる目標だったのに、結局、3時間は喋った。とにかく、疲れた。前々からJulioから聞いてはいたけれど、叔母さんは強烈なマシンガントーク。喋っても喋っても話の腰を折られ「Julioのこと愛してるから、心配だから、この家で学校を卒業しなきゃだめ!それまでお仕事なんてさせません!」の一点張り。スペイン語にだいぶ慣れてきたと言っても、あのマシンガントークに太刀打ちするには、ものすんごい集中力での思考と勇気が必要でした…。


叔母さんとの話し合いは、残念ながら上手くはいかなかった。本当は、叔母さんにも、Ruthとあたしがどんな人間で、彼がHogarに居た時はどんな子だったか、そして、どうして彼女のお家を出て一人で生計を立てていきたいのか、きちんと理解してもらいたかった。そのために、わざわざ行ったんだから。

だけど残念ながらそれは無理でした。叔母さんは、本当に残念ながら、人の話を聞いてくれない(聞けない?)人でした。あの喋り方、あの接し方では、あの頑固なjulioの心は拓けないってこと、ちっとも解っていない。いや、例え彼が頑固じゃなくっても、かなり厳しいでしょう。

彼女と会話をするJulioの姿はまるで、あたしと仲良くなる前の彼。あるいは、話を聞いてくれないHogarのマードレやスタッフから一方的に非難されている時の態度でした。それを見て、あぁ、このお家には本当に「彼の居場所」はないんだなということが良く解ってしまった。話を聞いてくれず、自分の考えや価値観だけをひたすら、相手に反論の余地を寸分も与えずに喋り続ける…そういう相手を、どうやってconfiarしろって言うんでしょう。


話し合いの中で、「なんでもっと心を開いてくれないの?もっと信頼しなさい!」と何度も何度もJulioに言っていた。信頼っていうのは、しなさいと言ってしてもらえるものでは決してない。一方的に喋り続けたからって生まれるものでもない。(ふと、昔「家なき子」ってドラマで「自分のことを信用しろと言う人のことは信用するな」と、京本政樹が安達裕実に言っていたのを思い出した自分にウケた。笑)

もしかしたら彼女は、家族でもないスペイン語も上手くない外国人の方が、自分の甥っ子とかなりの信頼関係を築いてることが気に入らなかったのかも知れない。叔母さんに「どれだけ前からjulioのこと知っているのか知らないけど」とか「何を吹き込んだのか知らないけど」とか、とにかく色んなことを言われたけれど、あぁ、この人は本当に解っていないんだなぁと思った。

あの天下一品級に頑固なJulioがあたしの言う事には真摯に耳を傾ける理由。そして、ここまでの信頼関係を築けた理由。そこにはたぶん難しい理屈なんて何もなくて、ただ単に、愛情の深さと質の違いだと、今、思う。だからJulioは毎日あたしのところに来て色んな話をしてくれて、あたしは彼の話を聞いたんだ。そして、まだまだスペイン語で言いたい事が上手く言えなかったあたしの話も(かなり辛抱強く)聞きたがってくれるようになった。


本当は全員が納得する形で、平和に話し合いを終えたかった。けれど、それは無理だと悟ったJulioは叔母さんのお家を出ると決め、荷物をまとめて、昨日、出てきた。彼はもう18歳。ペルーではもう立派な成人だから、当然の権利。

「自分の家族」だとは思えない叔母さんのお家での生活は、苦痛で仕方ない。そんなこと、見れば解る。顔色もものすごく悪いし、彼だけでなく、久し振りに会った弟のRicardoもびっくりするくらい細かった。「自分の居場所」を自分自身で探すために、そこを出て働きたいという18歳の彼を止める権利が、誰にあるだろう。


新しいお家の家主さんとお話が出来る日曜日までは、Hogarのお隣にある教会のパードレ(神父様)にお世話になることに。とりあえず、一安心。夜、教会でようやく落ち着いた彼と、やっとゆっくり喋れた。

「こんなにたくさんの人が自分のこと助けてくれるとは思わなかった。助けてくれたみんなのために、ちゃんと働いてちゃんと学校も卒業する。頑張る。」と、言ってくれた。偉い。ちゃんと解ってるじゃん。


本当のこと言うと、あたしはその言葉を聞くまで、すごく不安だった。叔母さんとの話し合いは上手くいかなかったから、もしも彼がこれから一人でやっていけなくなったとしても、唯一の肉親である叔母さん達にはもう頼る事が出来ない。そして、マードレが彼をHogarから追い出したがった理由に、エンマヌエル協会からの要請で来ているあたしとすごく仲良かったという事もあるから、かなり責任を感じてた。

これで路頭に迷うようなことがあったら、あと1年ちょっとで日本に帰ってしまうあたしはどうやって責任を取ろうかとも考えた。普通にサラリーマンやってて、どれくらいのペースでペルーに来れるかな、今かなり景気悪いしな、なんてことまで(笑)

でも、「助けてくれたみんなのために」って笑顔で言えるJulioで良かった。その言葉に、あたしは救われた。彼はきっと、大丈夫。自分のことを、こうやって支えたがる人たちが居るってことを解ってるし、その人たちに恩返ししたいって気持ちまで芽生えてる。叔母さんのお家に居た時よりもずっといい顔しているJulioを見て、あたしは今、本当に嬉しい。


ちゃんとお仕事を始めて夜間学校にも通ってちょっと落ち着いたら、あのマシンガン叔母さんに、また会いに行って欲しいなと思う。叔母さんのお家を離れても、ちゃんとやってるよっていうことを、胸を張って報告出来るくらいになって欲しい。

そして、生まれて初めての自分の選択と決断に、自信を持って欲しい。

Si tu quieres, tu puedes!
Hermanito, siempre estoy contigo de tu parte.

2009/02/13

amargo

amargoという単語は「にがい、つらい、不快な」って言う意味で、例えば「estoy amargo con ella(あの人と上手くいってない)」的な意味でも使います。あれ、本当はもっと良い日本語訳があった気がするけど、なぜか出てこない・・・。まぁ、例えばスタッフに叱られた子が2~3日そのスタッフと口をきかなかったりして、どーしたの?って聞くと、上に書いたような返事が返ってきたりするわけ。


あたしだってスタッフ達と同様に、31人(41人から10人も減ってしまった!)もこども達がいれば、ちょっと上手くいかない子だっているのは当然のこと。でも、基本的にはみんな良く懐いてくれているから、誰かがあたしに対してamargoになる事ってそんなにない。あったとしても、半日とか1日とかその程度。

ところが一昨日くらいから、最高記録に達してしまいました。なんと3人のこども達が、あたしにamargo・・・。挨拶を返してくれない程度の拗ね具合だからまぁ良いんだけど、歩み寄ってとことん話し合う精神的な余裕も時間的な余裕もなかったりして・・・未だに続いてる(笑)

でも、今日の午後からリマに上京してしまうので、外出する前にせめて何とかしなくては!Hogarに戻ってくるのは月曜日。みんなで海へ遠足に行く日なのです。それまで放置するのは精神衛生上よろしくないしね。


しかも昨日、5歳のFabricioに「セニョリータ、今、MarilinもMichelもamargoだよね。かわいそうに・・・。」と、肩をぽんぽん、とされてしまいました(笑) その仕草はめちゃくちゃ可愛いくてかなり感激してしまったんだけど、笑い事ではない!なんで5歳児に慰められてんだあたし!!!

さ、お話してこよ~っと。
今週末はお料理大会です!

2009/02/10

怒りと同情

怒りが静まりません。かなりキテます。

昨日のお昼前に、あたしと、スタッフのRuthに会うために、弟JulioがHogarにやってきた。もうHogarを出てしまったけれど、仕事を探すお手伝いを彼女と一緒にしようってことになって、、その相談に来たのね。門の外であたしとちょっと喋って、その後、Ruthが外のcafeteriaでお昼ご飯をご馳走してあげた。


そしたらウチの心理カウンセラーのMさんが、信じられないことを言ってきた。
彼女:「Julioが来てたけど会った?痩せ細って、病気じゃないの?!」
あたし:「あんまり食べさせてもらってないみたいだし、だいぶ痩せちゃったよね。」
彼女:「すごい顔色悪かったわね・・・ もの凄い心配だわ。」
あたし:「そうだねぇ。(でも、マードレとお前が追い出したんだろッ!!!)」
彼女:「ところでRuthとお昼食べてたけど見た?あれはマズいわ!」
あたし:「なんで?何か問題なわけ?」
彼女:「だってマードレが見たら怒るもの!次から絶対にご馳走しないでね。」
あたし:「いや、別に平気でしょ・・・ って言うか関係ないでしょ、もう。」
彼女:「でもダメよ! ・・・それにしても本当に顔色悪かったね。心配だわ。」
あたし:「・・・。(絶句)」

えーーーーっと・・・
理解できないまま、彼女との会話は終わりました。っていうか、終わらせてしまいました。瘦せ細ってる少年に、ご馳走しないでって何?っていうかアンタのお金じゃないし、マードレがどう思おうと関係ないし。本気で心配なら何とかしなよ!それ以前に、マードレが追い出すって言った時に、一度でもこども達を守ったことあんのかよッ!
っていうかそもそも、アンタはJulioのマドリーナでしょ!!!!!!

もう、信じられない。
でもこんな会話があったこと、本人には言いたくないって思った。曲りなりにも、彼のマドリーナだからねぇ。こんな悲しい出来事、黙っていることに決めたのね。知ったらショック受けるだろうと思って。


そして夜、Julioと門の外でまたしばらくお喋りしていた時のこと。
このおかしな心理カウンセラーの兄で、HogarでProfesor(先生)と呼ばれていて、平日の夜にこども達の面倒見にくるおじさんが来た。兄妹そろって、残念ながらマードレの手下です。

Julioは軽く挨拶して、彼が入った後に「あーぁ、会っちゃった」と呟いた。「え、何か問題なの?」って聞いたら、午前中に心理カウンセラーから「もうココに来るな」って言われたらしい。誰かに会って、それがマードレに知られたらマズイからって。


・・・絶句ですよ。
本当に、言葉が出てこない。

「Hogar」って、「家庭、家、家族」って意味なのね。3歳から18歳まで生活してきたJulioにとっては、大切な自分の家ですよ。あたし達みんな、彼の家族です。それを、「もう来るな」って、なに?

アンタ、それでも人間かい?!


怒りと同時に、心底同情してしまう。心理カウンセラーとして雇われていながら、こども達のために働くことが出来ない彼女に。そして、マードレのご機嫌をとるしかない彼女の立場に。そうする毎に、こども達が自分から離れていっていることに気付いていない彼女に。「こども達の心を掴めない可哀そうな心理カウンセラー」は、Hogarに居て、何するんだろうね。残念だけど、もうアンタの仕事なんてないよ。


この怒りはどうやって静めたら良いのでしょう。
久し振りに寝酒をしてみたものの、治まるわけもなく・・・誰か助けて。

2009/02/09

日本語の許容範囲

母親にお願いしたいものがあってメールした時のこと。
こんな文章を書いた。

------------------------------------------
■かんざし類一式
私のお部屋の机の引き出しか机近辺にあるのではないかと…。
もしかしたらグリーンの和風っぽい生地のケースに
まとめて入ってるかも知れません。アバウトでごめん。
------------------------------------------

…よくよく考えると、なんて表現でしょうね。


「緑色の和風っぽい生地の入れ物にまとめて
入っているかも知れません。 曖昧でごめん。」

とも書けるのに、なぜかカタカナがたくさん混じる。
これで通じてしまうのが日本語のすごいところ。


昔は、外来語を日本語に訳さないでそのまま使ってしまうところって
日本の、日本人の弱みなんだと思い込んでたのね。

例えば「グローバリゼーション」って、日本語で一言で言えます?
「コンピュータ」って?「シャンプー」と「コンディショナー」って?
「ボランティア」って?(余談だけど、ドイツ語には「ボランティア」に
値する単語はないらしい。)「WEBサイト」って?「ホームページ」って?
ほら、すぐには出てこないでしょ。

さらに、実はそれ使い方違うんじゃ…っていうのもある。
よくレストランとかバーを「ムーディーな」って表現する人がいるけど、
英語でmoodyって言うと「憂鬱」とか「不機嫌」とか「悲しげ」とか、
あんまり良くない意味だしね。きっとみんな知らないんだろうなぁ…。


まぁメディアがそうやって使ってしまうんだから、
みんなが当たり前に使うようになるに決まっているよね。

もちろん今でも、時々そういうの、嫌になる。
「自分の言葉で説明できない」っていうことは、結局はその概念を
理解できていないっていうことだとも言えるから。

そう考えたら、日本人ってすごい空間で生きているような気もしてぞっとする。
でも一方で、こういうのを抵抗もなく普通に日常生活に取り込める
日本人の感覚って、ちょっとすごい。前向きに考えると、ね。


ここから派生して、視野の広さとか選択肢の多さとか思考の柔軟性だとか
いくらでも話は膨らんでしまうのでこのへんにしておくけど、日本人って
色んな意味で「広いなぁ」と漠然と思うことが多いこのごろ。
やっぱり、豊かな国なのかも知れないね。

2009/02/08

出張サービス

久し振りに着付けをしました。



Hogarからお着物道具一式を持ってくるのはちょっと重いんだけれど、
それ以上に、普段あんまり着ない人に着付けて新鮮な感覚を味わってもらったり
鏡を見て「わぁ~♪」って喜んでくれる顔が見れるのが、何よりも嬉しい。

今日は、とあるfiestaに行くと言う協力隊員のご要望にお応えしてのサービス。
彼女はまだ色も白いし(比べると、あたし黒いなぁ…)、すごく良く似合ってた。


あれこれ相談しながら髪の毛をセットして、着付けて、お化粧品を貸し合って
一緒にお化粧したり。こういうのって、やっぱり何とも表現できないくらい楽しい。
女に生まれて良かったと心底思える瞬間。そう、最近こういう時間がなかったし!

久々に、サルサのパフォーマンス前のあの空気を思い出して
ちょっぴり日本が(っていうかあのチームが)恋しくなったりして(笑)


それにしても、和服を着た日本人女性って本当に素敵だなと思う。
自分で着付けておきながら、ほとほと感心した。

日本文化、万歳。
あたしの職種は青少年活動だけれど、ペルー人や日系人、
それから色んな国の人たちに対して日本の美しさもたくさん伝えたい。
こういう文化活動も、あたし達の重要な任務だよね。

2009/02/06

やっぱりアナログが一番

最近、ライター買うのをやめました。

なぜなら、こんな風にすぐ壊れてしまうから…。

※一つは回るところが溶けて、もう一つは部品が取れた!


日本では、ライターが壊れたことなんてたぶん一度もない。

最後まで使い切ったことって結構多かった。

でもペルーでは・・・どこ製か書いてないから解らないけど、

半分も使ってないのに壊れるのが普通の様な気がする~!!!




そんな訳で、最近はリャマのイラストが入ったマッチを愛用中。

やっぱ、こういう国ではアナログが一番みたいです~♪

2009/02/05

別れの季節…?

最近はお別れがとっても多い。

1月には、ほぼ同時期にペルーに着任した短期隊員のお姉さまが2人も帰国。
今日はペルーに来た時からお世話になっていたお友達がついに帰国。
3月上旬には、仲良くしてもらっている別のお姉さまも帰国。

みんな日本に帰るのは仕方ないけれど、
こうも立て続けだと、本当に本当に寂しくなってしまう。


ま、帰っていく人が居る傍らで、新しくペルーに来る隊員もいるわけだから
新しい出会いもたくさんあることはあるんだけどね。

でも、自分がペルーに来た時に、当たり前のように一緒に居てくれた人たちが
みんな日本に帰っていってしまうのは、なんとも言えない孤独感…。


嘆いても仕方ないけれど、一人勝手に寂しがっている今日この頃です。

2009/02/02

Botiquínが活躍する時

"Botiquín"というのは直訳するとキットとかセットとかそういう意味なんだけれども、救急箱的な意味でも使われています。リマ周辺を走る全てのバスにはBotiquínが設置されていて、法律なんてまるで無視の国のように思えるのに、変なところで律儀だなぁと思っていました。

だって、日本だったら明らかに10人乗りくらいのサイズなのに余裕で20人くらい詰め込んだりするし、走行スピードとかめちゃくちゃ早かったりするし、同じ路線のバスが隣に並ぶと意味もなく競争っぽくなったりするし…。そんな状況なのに、Botiquínだけは必ずある。あたしの中のペルー7不思議の一つでもありました。だって交通事故とかに遭ったら救急車が来るだろうし、この10ヶ月間でそのBotiquínが使われているのなんて一度も見たことなかったから。


でも、今日、ようやくその謎が解決!!!
JICA事務所で用事があるため、HogarからMirafloresに向かうバスに乗ってきました。こういうバスには、必ずChofer(運転手)とCobrador(乗車賃を集める人)がいます。Cobradorは人が乗り降りしてる間とかに、路上で売ってるお水やお菓子なんかをフラッと買うために降りる事もしばしば。日本だったら「仕事中なのにお買い物かいっ!」と思うかも知れないけれど、そのへんはペルーですから、何でもありです。市場でみかんを大量購入して食べながらお仕事するCobradorもいます。

だけど今日は、なんとChoferが突然バスを降りた。あれ、どしたの?!と思ったら、通行人との殴り合いの喧嘩が始まったのです…。あのー、乗客がいっぱい居るんですけど…早く着きたいんですけど…。仕事放置して喧嘩?周りの人たちは超やじ馬してたけど、あたしは、バスの運転手が、運転を放棄して殴り合いの喧嘩を始めているというこの状況にかなりウケてしまった(笑)


もうこんなバス降りて他のに乗り換えようかなと思った矢先、運転手は戻ってきました。鼻と眼の下から血を流して…。でも、本人は勝ったつもりらしく、わりと満足気。なぜなら、喧嘩相手だった通行人のおじさんはもっと流血してたから。

そしてまるで何事もなかったかのように、運転再開。原因が何だったのかすごく気になるけれど…ま、安全運転してくれるなら何でもいーやと思うことにしたその時…CobradorがBotiquínに近づいた!


そうか…やっと解った!
こういう時にBotiquínは活躍するんだっ!!!

ずっと中が見てみたかったBotiquín。お兄ちゃんが中から取り出したのは、普通にスーパーとかで売ってる救急セットみたいなやつだったけれど、なんだか嬉しくって思わずカメラを取り出して、こっそりとお写真を撮ってしまいました。えへへ。


必ずしも乗客のための救急セットではなかったのね。
さすがペルー。なんだか一人で深く納得してしまった瞬間でした。


それにしても。喧嘩の原因とか言い訳とかは別にしなくたっていいから、せめてChoferから「待たせてすまない」くらいの一言があっても良いのにと思ってしまう自分は、まだまだ日本人です。

2009/02/01

ご飯

Eliasに一人でご飯を食べさせているこの頃。
最近ようやく、半分くらいは自分で食べるようになりました。


手は使わないようにと言ってはいるけれど・・・
まだ3歳だから仕方ないかな。

小さい頃、両親にかなり厳しくしつけてもらったことにすごく感謝している。
だからHogarのこども達にも、同じようにしたいと思う。

大きい子の食べ方を直させるのは本当に大変だけど、
これから覚えるこの子には、どこに行っても恥ずかしくないように
キレイに食べられるようになって欲しいものです。


でも、だいぶ成長したでしょ♪