どこまでやれば良いのか。どこまでやって良いのか。
最近はそんな事ばっかり考えてしまう。
期間はたった2年間なんだから、Hogarのこども達との交流はもちろん第一だけれど、自分が居なくなった後のことだって当然考える。だからこそ、施設の運営だとか、スタッフたちの仕事に対する姿勢だとか、あまりにも突っ込みどころが満載だったもんだから、この一年間、こども達の面倒見るだけじゃなくて大人たちにも色々と働きかけてきたわけです。
でも、先週末の打ち合わせで、Hogarを出て行ったこども達との交流を毛嫌いするマードレの気分をあまり害さないように、そういうことは少し控えて欲しいと、エンマヌエル協会から言われてしまいました。確かにスタッフの首が飛びそうになってしまったから、問題を起こした原因も責任もあると認めます。
だけど、元凶はマードレ。マードレがこども達を追い出した。だから、自分の活動とは完全に切り離して、ただ彼らの力になりたいと思って関わっているだけのこと。それに、スタッフ達がマードレに首切られるのを怯えて、こども達のために働けない現状を何とかして変えたいだけ。それを制限されるのは、とても苦しいのです。だってもう、あたしは彼らに出会ってしまったし。
とっても悲しかったのは、日系人のマドリーナ達やペルーに長く住む日本人、それからその他の国籍の人達にまで、「ペルー人はペルー人。ある程度諦めないとダメ。」と、言われてしまったこと。さらに、「気持ちは解るけれど、もう小さいこども達のお世話に徹しなさい。大きいこども達はもう変わらないよ。」とか、「ペルー人は「変わらない・変えない」のが文化だから、マリの理想は解るけど、きっと無理だと思うよ。」と。
…果たしてそうでしょうか。
もちろん、こども達との事に関しては、自信を持って言える。大きい子ども達だって、あたしと一緒に、色んな事を学んでくれた。そして、あたしもそこからかなりのものを得た。チビッ子達に比べると、本当に心を開いてくれるまでは結構大変だったけど、大変なぶん、それが醍醐味というもの。それに、こども達との関係は、他の誰よりも、こども達とあたし自身が一番良く解っているからね。
でも、ペルーを良く知っている人たち(しかも色んな立場の人たち)から「変わらない・変えない」のがこの国の文化だ、諦めろと言われてしまうと、本当に、心底辛い。あたしの乏しい語彙力ではとうてい表現できない程に、心に重く圧し掛かっているのです。
あたしが踏み込めば踏み込む程にマードレが嫌がるなら、もうこういうやり方は、止めるべきだろうか。物事を長期的に考えられないスタッフ達も、マードレが嫌がることをあたしが続けるのを、きっと嫌がるに違いない。波風を立てずに、間違っているのを承知の上で大人しくこども達の面倒だけ見ていれば良いのだろうか。
でもそんなの、胸張って「あたしの仕事だ」って言えない。
かと言って、協会やスタッフの気持ちが解る分、そう簡単には突き進めません。
どこまでやって良いのでしょうか。悩みは尽きません。
2 件のコメント:
まりちゃん!それわかる。問題があるところってやっぱり元凶は人だよね。人と人。
私の場合、自分がいなくなった時のことばかり考えて、かなりこちらの人に合わせてきた。でもそれだけじゃ駄目だなってやっぱり思う。だって啓蒙活動できてるから。それに、文化だからって一言で済ましていいものじゃないのでは・・・?と思うよね。
私はまりこの向き合う姿勢を見習います!
tomokoちゃーん!
本当にねぇ、人の問題は大きいよね。
あたしは後任のことを考えてなかった気がする。派手に喧嘩別れして帰っちゃったら後から来る人が大変だろうから、やっぱり「繋がっていく」ことを考えて活動とか人との交流の仕方を少し見直そうかな、なんて思ったり。
きちんと向き合いつつも、温和な啓蒙活動をやっていきたいね!
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