「マリは人を簡単に信用しすぎる。もっと疑わないとダメだよ。」
これ、Hogarを出た子に、よく言われる言葉。
そーかな?あたしを知っているみなさん、どう思いますか??
一概に「ペルー人はこうだ」なんて言うつもりは全くありません。
ただ、どちらかと言うと、あまり思ったことを正直に言葉にしなかったり、あえて複雑な表現をしたり、濁してみたり…。何でもはっきりと言ってしまう性格のあたしにしてみれば、ちょっと難しい人が多い、というのが一年間生活して受けた印象。嘘をつかれて悲しんだことも、何度もあります。
そしてペルー人同士でも、「信用しすぎるな」とアドバイスし合うという場面にも、何度も何度も遭遇しました。色々な事情があってのことだろうし、Hogarに居た子に言われた言葉の意味や、その気持は解るけれど、あたしには大きな疑問。
別に「簡単に」信用しているんじゃない。
ただ、「信用しよう」と決めて、信用しているだけ。
もちろん、自分が信じようと思う相手だけだけれど。
「信用する」の反対が「疑う」とは言いきれないけれど、例えば会う人会う人みんな疑ってかかったら、信頼関係はいつどこでどうやって生まれるのだろう?と思いませんか。
「他者に信頼されている」「期待されている」という気持ちを自分の中に抱くことから、人間は「正しい行為」「恥ずかしくない行為」を選択するようになっていくんじゃないのかなぁ。
表面的には調子の良いこと言いながら、どうせウラでは別の事言ってるんでしょってみんなが思ってたら、いつまで経っても薄っぺらい関係のまま。何も発展しないじゃない。
何年か前、あたしは人を疑うことがすごく多かった時期があった。でも、疑ったって「+」になるものは何も生まれないってことも学んだ。だから、後で裏切られてショックを受けても良いから、とりあえず自分が信用したいと思う人のことは信用してみようと思うようになったんだと思う。
こども達に対してだって同じでしょう。あたしがバカみたいに信用してるのを知ったから、少年達の何人かに届いたものがあると思っているし。人に信頼されること、あの人の期待に応えようと思うこと、あの人を裏切って悲しませたくないと思うことって、本当に大切な事だよね。
それに、人を裏切って相手に悲しまれて、それで自分の心が痛む時だってある。(何度も親の期待を裏切り続けたあたしとしては、今、痛いほど解りますけど。笑)こども達がそういう風に感じてくれたら、それはそれで良いとも思う。そうやって彼らの「心」が成長していけば良いじゃない。もちろん、こども達だけじゃなくて大人たちにもね。
だからあたしは、信じる事をやめません。
ちょっとくらい悲しまされても大丈夫。準備は出来てるぜ!
4 件のコメント:
大切な人にたいして正直であろうとするのはいいことよね。そういう期待がなかったら、より良くしていこうという気持ちが芽生えるのは難しいかも知れない。
「お母さん」してるね!
そうだよね。それが、基本だと思うのだけれど。あたしの居る環境では、ちょっと難しいことが多いよ。負けないけどね!
信じ抜いていいと思うよ!
人を信用できない=信じてもらうことに飢えている。
ってことだよね。
信じ抜いてくれる人がいる、みんなと違う人がいる、
そういう人がいるんだってことが分かるだけで、
彼らは一歩成長できると思う。
だって、今まではそういう人、いなかったんだもの。
のんちゃん、ありがと。やっぱりコレで良いんだよね。
ママに何度も何度も悲しそうな顔をさせてきたこんな自分だからこそ、そう感じるのかも知れないって思ったりもする。裏切っても「やっぱりね」って言われたら、本当にいつまで経っても成長しないよねぇ…。
ここではよく「外には悪い人ばっかりだから信用しちゃダメ!」って言う人が多いんだけれど、それじゃあまりにも寂しすぎるよね。事実なのかも知れないけれど、やっぱり信じる気持ちは何よりも大事だと思うんだ。
おしっ。引き続き、このままの方針でいきまーす♪
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